怪物達に畏敬を込めて

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 皆そろそろ,アノ人に「ホリエモン」という呼称を使うの止めたらどうですかね。藤子・F・不二雄が生きてたら怒ると思うんですけど「ドラえもんは『人心はカネで買える』とか言わない」って。

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 ミュージシャンの中にも「怪物」と形容されるような圧倒的な力量の持ち主がいて,私自身も知り合いを捕まえてweb上などでそういう表現をした事があります。もちろんその人の卓越した実力,才能に純粋な敬意を表しての行為ではあるのですが,言われる本人からしてみると「あの人は怪物だ」とか「ああいう才能には勝てない」といった評価のされ方は実はある意味不本意なんではないかな,と近頃思い始めているのです。
 永く付き合ってみると判るのですが,実際やぢまがそう思っていた人達は実は例外なく陰で血のにじむような努力をし,道を求めんとするが故に自分自身との戦いに於いて常に業火の苦しみを味わっているわけです。単純に練習を積む事による技術の向上だけが演奏者としての求道とイコールではないのはもちろんですが,幅広い吸収力や新しい音楽の創造など,「才能の賜物」と片付けられそうな問題も実際は常に感受性を研ぎすませていたり他から受けた影響を独自のものに昇華させようとするなどの不断の努力によるものではないか,と考えるのです。
 「努力も才能のうち」という言い方はよく聞きますが,私は「才能も努力のうち」なのではないか,と思います。だから「天賦の才能」と世に謳われる人々は皆,実は「んな『才能』とかで片付けんなよ,こっちは毎日死ぬほど努力してんのに」と苦笑しているんではないでしょうか。圧倒的な技術も広大な守備範囲も,志の高さまでも全て努力次第という事になれば,演奏者・求道者たる者は言い訳をする逃げ道を全て断たれるという事になります。それって素晴らしい事だと思うんですが。