月別アーカイブ: 2005年11月

K-1 GPをDVD録画したら決勝戦だけ入ってなかった(泣)

 うわ。かつてないほど更新が途絶えていましたスミマセン。

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 本を読んでいて無性に食欲をそそられるってこと,ありませんか?
 本と言ってもグルメ誌とかそういうのではなく,小説や随筆で登場人物がモノを食べるようなシーンを読んで,その筆力につい自分までお腹が空いてきてしまうというような経験の事です。
 やぢまも最近はとんとご無沙汰ですが,妙蓮寺で一人暮らししていた頃は本を読む時間もたくさんありましたし,食欲を触発されてはそのまま本をもって同じものを食べるため駅前までふらふらと出かけて行ったものです。

 高村薫「神の火」で,ソヴィエトのスパイたる主人公が西成の大衆食堂に入り冷凍庫で冷やしたウォッカを啜りながらアツアツの野菜炒めを食べるシーン。
 中島らも「今夜,すべてのバーで」で,アル中の主人公が病院を脱走してそば屋へ行き,禁断のビールを飲みながら天ぷら蕎麦を手繰るシーン。
 筒井康隆「敵」で,一人暮らしの老人が大好物の韓国冷麺を作って食べるシーン(以前にもmeditationでご紹介しましたが)。
 
 妙蓮寺なんて東横線に乗った事のある人しか知らないような弱小駅ですが,駅前にはそこそこ旨い野菜炒めや天ぷら蕎麦,韓国冷麺を食べるのには十分事足りる小さな商店街があり,何も予定のない日に食堂のテーブルで小説と同じものを食べ,また家に帰って続きを読むというのは何にも替えられない至福の時間でした。文庫本を片手に駅前までを往復するひとときは雨の日も晴れの日も本当に幸せで,こんな日がずっと続けばいいと虫のいい事を考えていたりしたものでした。これだから最近の若者は。

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 歴史小説の大家,吉村明氏の超大作「ふぉん・しいほるとの娘」を読了したのは妙蓮寺を離れてからですが,シーボルトの娘お稲が学問を授かるために滞在した伊予の蘭方医,二宮敬作の自宅で「サツマ」という地方料理を振る舞われあまりの旨さに頬を落としたという下りを読んだときも一も二もなく「その『サツマ』を食べてみたい」と思ったわけです。が,よくよく考えてみれば史実に基づいた内容とはいえフィクションなのですし剰え150年も前のエピソードです。旨いそば屋や中華屋さえ近所にない今の住まいではそんな珍しい食べ物を簡単に探せるはずもなく,そのうち私も「サツマ」の事は忘れてしまい四国に遊びに行く事が決まっても二宮敬作が伊予に住んでいたという事をすっかり忘れてしまったままでした。
 その四国旅行で「さつま定食」を食べられたのは旅先で暇つぶしに読んでいたガイドブックのおかげだったんです。紹介されていたのは宇和島の「かどや駅前本店」という食堂で,写真が載っていたのは鯛飯だったのですがキャプションに「鯛飯1790円,さつま定食1050円」などと書かれているのを見つけ「こっこれがあのサツマに違いない」と確信し,松山から中村に行く途中の宇和島駅の乗り継ぎ待ち60分を利用してあたふたと店を訪れたんでした。開店30分前だったにもかかわらず親切な店員さんがお店に入れてくれたおかげで,実は現在でもこの辺りでは郷土料理として名高い「さつま」定食をおいしく頂く事が出来ました。つきあわされた家族にとっては単なる珍しいゴハンだったかもしれませんが,私にとっては大いに有意義な思い出深い一日となったわけです。

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 肝心の「『さつま』とはどういった料理なのか」をご紹介するのを忘れていました。ここに出ているような「さつま汁」を麦飯にかけて頂くのが小説にも出てきた「さつま」なんです。ちなみにサツマイモの入った鹿児島の「さつま汁」とは全く別のレシピです。

 ●「Live Info.」に2件追加。


 

四国旅行メモ

 前回のMeditationで「ワタクシには趣味というものが無い」などとストイックぶりをアピールしたところ親族の一人が「このページの内容をどう説明するのか」と正確なツッコミを入れてきたためやぢまのHPは0になりました。めでたしめでたし。しかし今年はいろいろあったおかげで,この「ゴロゴロしながら本を読む」という至福の時間が殆ど作れなかったのが返す返すも残念。悪いけど来年はライブ関連も含めもっと我が儘な1年にさせてもらいますよ宣言。

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 少ない休みを1カ所にかき集め,先週末から4泊5日で四国を一周してきました。

 ●初日は徳島の山奥,四季美谷温泉に宿泊。新横浜8:30発の新幹線で岡山まで行き(3時間),快速電車で瀬戸大橋を渡って高松で降り(50分),ディーゼル特急に乗り継いで終点の徳島へ(1時間)。ラーメンを食べた後レンタカーで3時間ほど山道を運転し,18:00頃無事到着。山奥って言ってもハンパな山奥ぢゃなく,周囲に家も店も何も無ければdocomoもauも圏外という正真正銘の山奥。それだけに純粋な山と川だけの空気が実に気持ちよく,1泊しか予約しなかった事を激しく後悔。もちろん温泉も堪能。


このくらい山奥

 ●2日目は9時頃チェックアウトして徳島へ戻り,レンタカーを返してみどりの窓口へ行き,3日間乗り降り自由の「四国フリー切符」を買って特急で高松へ(1時間)。降りてすぐに行きずりのうどん屋を2軒試してみたもののいずれも大成功とは言えず,リサーチ不足を悔やむ。さらに特急で松山へ行き(3時間),伊予電鉄(路面電車)で道後温泉まで行って(20分)手順終了。宿は大きなホテルで食事も良かったんだけど,建物が古くて部屋の便所と風呂が合宿所並みのコワモテ加減でありちょっとヒいてしまった。ここに2泊。

 ●3日目の午前中は鯛飯を食べるために松山から特急で20分南下して内子へ。鯛飯ってのはほぐした鯛の身と一緒に炊いたご飯ではなく,白いご飯に鯛の刺身を敷き詰めて真ん中に卵の黄身を乗せ,刺身醤油をかけて食すというもの。至福の昼食ののち街をしばらく散策し,道後温泉へ戻って重要文化財「道後温泉本館」でまたも温泉を堪能。宿へ戻って夕食,街でお土産を物色して終了。

 ●4日目は一路足摺岬へ。朝食をとらずに特急で松山を9時に出発,10:30には宇和島に着き,かねてから食べてみたかった「さつま定食」で早いお昼ゴハン(この「さつま定食」に就いてはまたいずれ)。その後1両編成の旧い鈍行列車に乗り(JR予土線),サスペンションが軋む音に発狂しそうになりながら2時間揺られて若井駅で下車。


頼むから台車だけでも交換してほしい予土線普通列車


若井駅。こんな何もない無人駅が本当に乗換駅なのかと激しく不安に

 その後「土佐くろしお鉄道」で中村駅まで行き(1時間),そこからレンタカーで足摺岬へ(70分ほど)。記念写真を撮ってから足摺港の近くの小さな宿へチェックイン。お風呂の後おいしい夕食と焼酎を頂き,散歩がてら満天の星空を眺めてから就寝。

 ●最終日は9時半頃チェックアウト。「高知駅を15時」に出なければならなかったのに「中村駅を15時」と勘違いしてしまい,余裕ブッこいて四万十川を眺めに行ったりしたあとクルマを返却してから間違いに気づき愕然。以降予約していた指定席を全て2時間遅れの自由席に乗るハメに(泣)。中村駅から特急で岡山へ向かい(4時間!),岡山から新幹線で新横浜へ戻り,そこからはもう通勤電車に乗る気力が無くタクシーで自宅に帰還。全行程終了。

*     *     *

 今回はネットで良さそうな宿を先に探して予約し,列車による行程を後付けで計画したので最終日に異様に長く電車に乗るハメになってしまった(しかも乗り遅れるし。泣)のがちょっとした失敗。岡山辺りでもう1泊すれば良かった。それと宿。部屋や食事の善し悪しはやっぱりweb上の写真だけでは判らないなぁと。でも今回は2日目の風呂・トイレの件以外は大きな失敗はなかったし,最終日に泊まったログハウスは清潔で宿の人々も優しく,手作りの食事も美味しくて足摺岬周辺に行かれる方には自信を持ってお勧めしたいです(レンタカーか自家用車で行かれる事をお勧めします)。→ペンション 木のくじら

 プライベートな旅行で一番心に残る事と言えば,ご当地の名物とか名所とかよりも行く先々で出会った生き物たちとの触れ合いの方が今までの経験では多いような気がします。石垣島では子ブタとの邂逅がそれでしたが,今回は何と猫だったんです。「抱っこをせがむ子犬」はどこででもよく見かけますが,「抱っこをせがむ猫」というのは内子に来て初めて出会いました。

…おしまい。


無趣味の人

 割と最近の話なのにどんなシチュエーションだったか思い出せないんだけど,知り合ってまだ日の浅いミュージシャンに「やぢまさんの趣味って何? ベース以外で」って訊かれて全く答えられなかったのですよ。子供の頃は昆虫採集とか天体観測とか割とハカセ系な趣味がたくさんあったような気がするんだけど,今はベースの他にこれといって入れ込んでいるものもないし,「音楽鑑賞」とか言っても普通の人と違って全然安らげない聴き方をしている事が多いわけです。「趣味」とは「専門的ではなく,楽しみにすること」(三省堂 大辞林)らしいので,私にとってはベースは趣味とは言えず,「やぢま=無趣味の人」ということを認めざるを得ない,と。

 話は変わりますが,いつだったか私と同じヤマハでピアノを教えている先生から「生徒にもいろんな人がいてね,例えば女性とかで『今日はレッスンしなくていいから先生のピアノを30分聴きたいワ』なんて言い出す人がいたりするんだよ」という話を聞いてのけぞった事があります。もしオレの生徒がそのような寝言をおほざきになったら? そりゃあもうよく研いである大型の斧で脳天からまっぷたつ,一瞬たりとも苦しまず速やかに逝ってもr何でもありません。ですがね,「お金払ってんだから30分のレッスン時間をどんな風に使ったってこっちの自由でしょ」っていうのは大きな考え違いだと思うんですよ。そりゃ講師は演奏者でもあるけれど,人にモノを教える時と人前で演奏を披露する時ではそれぞれ違う覚悟ってもんがあるんですから。レッスン料は技術を伝授する事に対する報酬であって,時間そのものの対価ではないんです。

 幸いにしてやぢまの生徒さんはその殆どがよく練習して来る人達です。先日とあるギターの先生が「いいなぁ,オレの生徒なんて半分くらいは練習してこない子だよ」と仰ってましたがそれはベースとギターという楽器の違いもあるかもしれません。どちらかと言うと地味な楽器であるベースを敢えて習おうとする人は,抽象的な憧れでなく地道に上手くなろうという具体的な願望を最初から持っている人が多いと思いますから。そういう生徒を見慣れているせいもあると思いますが,趣味というものを持たないワタクシには「上達しなくてもいいから息抜き代わりにレッスンに通う」という人の気持ちが全く理解できないんです。もちろんそういうのが全く平気な,「曲弾いて」なんて言われたらホイホイ弾いちゃう先生も中には居るのでしょうし,息抜きで習い事をしたい人はそういう先生の元に通えばいいのかもしれませんね。でもベースという楽器を愛する者の目から見ると,普段全く弾いてもらえないのに息抜き代わりのレッスンのためだけに使われている楽器は不憫に思えてなりません。あと講師も人間なので,同じことを何度も言わせて平気な相手かどうか事前によく見極められるがよろしいかと思います。

 

 ●「Live Info.」に2件追加。