Meditaion

 もう1ヶ月が過ぎましたが,改めまして3/20の「AmaKha the 1st Live」ご来場誠にありがとうございました。 記念すべき初ライブを,満員のお客さんの前で演奏できて…と言うと単に華々しい喜びだけのような表現ですが,昨今のような国難の中で沢山の方々に来て頂けた事,震災の日からライブ当日までに色々と考えさせられた事,そして「ゴスペルのユニットを作ろう!」と企画した8月からライブ後の今日までの事を遡って行くと,簡潔にこの感慨を言い表す事などとても出来そうにありません。一つだけ言えるのは,私個人にとってこのライブは音楽的な集大成と再出発の両方を象徴するような,今まで経験した中で最も重みのあるライブになったという事です。

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 震災のあった3/11の昼過ぎ,私はリハーサルのため上野山英里 (pn.) 女史/海沼正利 (perc.) さんと一緒に都内で集まっていました。14:00に現地に集合し,機材を搬入して駐車場にクルマを置いて,徒歩で戻って設営して,さぁそろそろ始めようか…という時にユサユサっと来たのです。 最初はそれほど大きくない横揺れだったのでこの辺ではよくある規模の地震かと思ったのですが,あれよあれよという間に揺れは大きくなり建物がシャレにならないほど大きな音を立て始めたところで「あ,オレの人生ってひょっとしてリハの直前に終わんの」と思い始めました。無論,岩手宮城福島茨城に比べれば「大きな揺れ」とはとても言えなかったのかもしれませんが,それでも私はかつてあのような揺れの大きさと長さを経験した事はありませんでした。 女史は呆然と座り込んでしまい,私は海沼さんと二人でテレビを点け,程なく生で放映された名取川の映像にうめき声を上げる他ありませんでした。余震の続く中親族と連絡を取り合い,「こりゃ今日はリハどころじゃないな」と思っていたのですが,2時間ほど経ったころ女史が発した一言は「こんな状況ですが,ぼつぼつ始めましょうか」でした。

 や「やっぱやりますか…」
 上「ええ,今日以外にリハできないし今回初めての曲も多いし…」

 このリハの目的であったコンサートが中止となった今では推し量る事しか出来ませんが,長年一緒に演奏しているこの3人なら当日初見でもそこそこちゃんとした演奏が出来たようにも思います。しかしそれとは別に「やるならより良いパフォーマンスをお客さんに見せたい!」という意思が無条件に働く女史のミュージシャンシップに私は胸を打たれたといいますか,夢から覚めたような清冽な感覚を味わいました。 その後2時間ほど余震がやまない中でリハを敢行し,要所をしっかり確認してからそれぞれ帰路につきました。前述のように結局本番は中止になってしまったのですが,この日のリハは音楽の内容以上に得る事の多かった,貴重なリハだったのだと今では思っています。

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 このリハのおかげで,私は翌日12日の別のライブが予定通り行われると聞いても肯定的に受け入れる事が出来ました。自分の仕事は演奏をする事であり,自分の体が無傷で会場に到着する術もあるのなら仕事を休む理由は無いではないか。そしてこんな時こそ最高の仕事をしなければならないし,逆にもしお店やバンマスの都合で営業が出来ないというのならそれは致し方なき事として受け入れればではないか…と。だから12日のライブ敢行をバンマス(Tommy Campbell氏)とお店が合意した事,そして結果いつもより少ないながらもちゃんとお客さんが聴きに来てくださった事で私は自分の仕事に改めて自信を持つ事が出来ました。こんな時でも音楽はやはり人々にとって必要なものなんだ,それを生演奏で届ける仕事に誇りを持ちこそすれ,誰に憚る必要もありはしない,と。 一方で私が参加する予定だった他の幾つかのライブはやはり中止や延期を余儀なくされました。そんな中で震災の9日後に組まれているAmaKhaのライブをどうするのか。ユニット結成表明から長い時間を費やした準備,そして何よりもこのライブこそがこのユニットの出発点である事を考えれば,私にも三科女史にも延期はともかく中止という選択肢をとりうる筈がありません。しかし会場の協力が得られなければいくら私達が「やる」と言ったって開催する事が出来ないのも事実です。最初私はその事をあまり深く考えていなかったのですが,リハ(3/15)の直後に会場のサイトを覗き,3/20前後のライブが軒並み中止/延期になっているのを見て「これは会場と早急に相談しなければ」と思い立ち(<遅),ブッキング担当者さんに慌てて電話しました。

 や「私どもとしてはできればこのまま開催したい意向なのですが…」
 担「(あっさりと)ええ,こちらとしても是非お願いしたい所存です」
 や「えっ構わないのですか? 他のライブが軒並み中止になっているのでそちらのご意向かと思ったのですが…」
 担「いえ,中止になっているライブはすべてアーティストさんや事務所側のご意向なので,こちらから中止をお願いする事はありません。むしろこういう時だからこそ良い音楽を皆さんに聴いて頂きたいと思っております」

 今回のライブが無事に行えたのは私達の考えにこうした会場のバックアップがあった事が本当に大きかったです。またTwitterに書いた通り,メンバー全員が無事にリハーサルに集まってくれた上,このような状況下でライブをやる事に賛意を表してくれた事も忘れる訳にはいきません。11日から20日までの9日間は「自分は良い仕事,良い仲間に恵まれたのだ」と改めて気づかされる日々でした。

 (もちろん私は断腸の思いでコンサートの中止や延期を決定したアーティストさん達の判断を否定するものではありません。それは会場のスタッフさんも同じである筈です。もしAmaKhaのライブが震災の翌日や翌々日であったならばやはり開催は難しかった事でしょう。私達の場合は9日間の猶予があった分,運が良かったのだとも言えると思います)

 ライブ当日の様子は動画や写真をAmaKhaサイトにアップしましたのでここでは詳らかにはしませんが,9日経ったとはいえ首都圏にも様々な震災の余波が未だ残る中,満員のお客さんに来て頂けた事に,そして「こういう時だからこそ良い音楽を聴いてほしい」というMCに拍手を頂けた事にもう一度改めてお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。 また急遽入手して会場に置かせて 頂いたピンクの(笑)募金箱にたくさんの義援金を入れて頂いた事にも大変々々感謝しております。ミュージックチャージを頂いておきながら更に義援金を募る事は申し訳ない気持ちもあったのですが,「チャリティーは一律・強制的に行われるべきものではない」という考えのもと,あのような形をとらせて頂きました。どうかご理解いただければと思います。

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 以後今日に至るまで災禍は現在進行形で続いている訳ですが,テレビなどで長渕剛さんはじめ多くの有名ミュージシャンが被災地で演奏をされているのを見ると「音楽も社会に貢献できるんだ」とシンプルに嬉しくなります。もちろん私達にはまだまだ知名度も人口に膾炙した音楽もありませんが,まずは良い音楽を作り,演奏し,その上で自分に出来る事は何かを考えるのが私達の役割なのだろうと思います。いざ大災害という時にやるべき事を出来なかった(あるいは,未だやろうとしない)政府や電力会社の責任はいずれ追及されなければなりませんが,電力の供給が当たり前である時代と国に生まれ,電力の供給がなければ音も出ない楽器の演奏を生業とする者として,このような災禍が起こった後になって初めて拳を上げる事には正直二の足を踏んでしまいます。今はただ,どうか国内の災禍がこれ以上広がらないように,そして他の国々にも累が及ばないように,現場で命を張っているプロフェッショナル達の武運を祈るのみです。その間,自分もこの道のプロフェッショナルとして自分にしかできない仕事を残さなければならない,と思います。