【↑追記:雨の中,たくさんのご来場ありがとうございました!(昼間めっさ晴れてたのに,結局夜は雨降った… 泣)】
†
毎日同じ鉄道で通学/通勤していると,駅や車内のアナウンスを覚えてしまうということがないだろうか。私はサラリーマン経験がないので通学の経験でしか覚えていないのだが,高校生の時毎日新宿駅で聞いていた「池袋・板橋・十条・赤羽・北赤羽・浮間舟渡・戸田公園・戸田・北戸田・武蔵浦和・中浦和・南与野・与野本町・北与野・大宮・日進・指扇(さしおうぎ)・南古谷・終点川越の順に停車いたします」という埼京線のアナウンスを一番よく覚えている。当時埼京線はまだ新しい路線で,沿線に住む方には申し訳ないが変わった駅名も多かったのでそのリズムが印象に残ったのだと思う。今から30年も前の話だ。
そしてもう一つ覚えているのが,小学校3〜4年生の頃に週1で聞いていた「途中の停車駅は 上本町 鶴橋 八木 名張 津 白子 四日市 桑名の順でございます」という,予め録音された抑揚のないアナウンスだ。これは近鉄難波駅の構内で名古屋行きの特急が入線する際にかかるもので,当時鉄道が大好きだった私は音楽教室からの帰り,難波駅で奈良行きの快速急行を待っている間にこのアナウンスを聞くたび「一度難波から名古屋まで,近鉄特急で行ってみたいなぁ」と思っていたものだ(当然,新大阪から新幹線に乗った方が断然早いので,趣味性以外のメリットは全くない)。その頃持っていた近鉄電車の写真集は赤目口〜名張間で撮られた美麗な写真が多く,奈良線・京都線・橿原線しか乗った事のない自分にとっては近鉄大阪線・名古屋線とその特急停車駅は近くて遠い憧れだったのだ。
結局10歳の時に父の転勤で東京に引っ越してしまった私は,現在に至るまで難波〜名古屋間を近鉄で旅する夢をまだ実現できていないのだが,かつて難波駅の構内で聞いた特急停車駅のうち,三重県の町3つに自分やバンドメンバーの機材車で訪れるという経験をしている。それが四日市と津と名張(時系列順)で,四日市は都筑章浩 (perc.) さんが,津は伊藤芳輝 (gt.) さんが,そして名張ははたけやま裕 (perc.) 女史が繋いでくれたご縁での訪問だった。四日市と津はライブハウスでの演奏で訪れたのだが,はたけやま女史が初めて名張に連れて行ってくれたのは女史のピアノトリオ「ゆう・ゆう・けんと」ツアーの2日目をいきなり移動日にして「お寿司を食べに行く日」を設定するという,想像を超えたバンマス采配だったのだ。
や「名張って三重県の名張?(あの特急停車駅の?)」
は「そうなの。もうね,最っっっっっっっっっ高に美味しいから覚悟しといて」
斯くして飯テロリスト・はたけやま裕に連れられて訪れた名張の「醍醐」さんでいただいたお昼ご飯の凄さと言ったら…! 私もたまにはゴハン写真をTwitterなどにupする事があるものの,醍醐さんで出していただいたお食事だけは過去1枚も載せていないし,そもそも写真を殆ど撮っていない(今まで3度訪れて,ハモ鍋の写真1枚のみを記念に頂きました)。大将は優しい方なので何も仰らないと思うが,あまりに心遣いのこもったお料理にたいしてスマホのカメラを向ける事にどうも二の足を踏んでしまうのだ。ま,写真は飯テロリストがバシバシupしてくれているので(笑),どのくらい美味しそうかはそちらで確認して頂ければと思う。確かに醍醐さんのお食事は,味や匂いだけではなく見た目にも本当に素晴らしい。
†
そんな風にご縁のできた名張へ,先日「ゆう・ゆう・けんと」で学校公演に出かけてきた。公立小学校で午前中から始まる1公演のみなのだが,前乗り・翌日戻りという贅沢日程であり大変楽しい旅となった。
いわゆる「学校公演」のお仕事は何度か頂いた事があるのだが,その殆どがホールを貸し切って(あるいは学校の講堂に)中高生を集めて行われるものがほとんどで,体育館で小学生を対象に…というケースに参戦するのは初めてだったかもしれない。おそらく,「児童にジャズを(あるいは,ジャズミュージシャンの演奏を)聴かせよう」と考えてくれる小学校はそうそうないのだろう。しかしはたけやま女史の近年のコンサートの題材には「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にインスパイアされて作った曲を,画家さんが制作したアニメーションを観ながら聴いてもらう」というものがあり,これはまさに小学生にもうってつけの内容だ。これを招聘してくださった百合ヶ丘小学校の鈴木先生に頭が下がるとともに,全国の小学校にもこういうジャズの聴かせ方があるということを知ってもらえたなら,と切に思う。アニメーションの進行は画家さん(蒲原元さん)がPCで直接コントロールしてくださるので,演奏者もアドリブなどの長さを決めておかずに自由に演奏できる。この形ならジャズ的な楽しみの要素も子供達に伝わりやすいと思うのだ。
それにしてもおとなしく体育座りしていた小学生たちにひとたび女史が「『恋ダンス』踊れる子はこっちにおいでー!」と声をかけた時の,解放されたエネルギーの凄まじさと言ったら…。普段子供と接する機会のない自分には,ただただもう佇むことしかできなかった。平易な言い方しかできないが,学校の先生って本当に凄いお仕事だと思う。
学校公演は午前から始まったので14時頃には撤収・搬出も全て終わっていたように思う。その後夕食まで時間があるので鈴木先生に案内して頂き赤目四十八滝を4人(ゆう・ゆう・けんと+元さん)で散策し,日帰り温泉でひとっ風呂浴び,「醍醐」さんの正に心づくしのお夕食を頂いてその日は打ち上がった。鈴木先生や「醍醐」の皆さんの心遣いがありがたく,この素晴らしい人脈を得たバンマス・はたけやま裕女史の人徳にただただ感服する他なかった。飯テロリストとか言ってホントごめん。
思えば,自分が小4で奈良から東京の公立小学校に転校してきた時,一番驚いたのは備品の楽器としてテレビでしか見たことのないPearlのドラム・セットが置いてあった事だった。それを式典で上級生が叩いているのを見て「あ,僕もあれをやってみたい」と思ったのが,クラシックしか知らなかった自分が軽音楽に傾倒するようになったきっかけなのだと思う。しかし,そのお手本を見せてくれるのはディキシーっぽいパターン(だと後年になって判った)を少しだけ叩ける老いた音楽の先生しかおらず,それでもその先生を私は大好きで尊敬していた。もしその頃,自分の学校にプロのバンドが来て演奏やレクチャーをしてくれたとしたら,きっと歓喜のあまり漏らしていたに違いない(笑)。
今回このような学校公演を企画し招いてくださった名張市立百合ヶ丘小学校の鈴木先生・校長先生・教員の皆さんの深いご理解,そして「醍醐」の皆さん・「モトハシ」の皆さんのお心遣いに心からお礼をお伝えしたいです。ありがとうございました。
†
それにしても,赤目四十八滝。
私は3歳から10歳まで奈良に住んでいたので,伊勢・鳥羽・賢島など三重県の景勝地に両親とともに観光に訪れたことは何度かあるのだが,より奈良に近い名張にこんなに風光明媚な場所があったとはついぞ知らなかったのだ。多分両親も元々は山口の人間なので,奈良やその近県の地理には案外疎かったのではないかと思う。今度広島の実家に行ったらその辺のことを訊いてみたい。