●「Basses」更新。写真とか増やしました。
やぢまは生まれてから大人になるまで家族と一緒に転々と引っ越しを重ねてきたので厳密には実家というものがありません。最近両親が広島で家を買ったらしく広島を実家と呼んでもいいのかも知れませんが,私自身は広島で育った訳ではありませんし出生地である大阪には3歳までしかいなかったのでその頃の記憶が殆どありません。そんな私にとって生まれてからずっと同じ地に住んでいて昔からの友達がまだ地元にいたりするような人は物凄くうらやましく思えるんです。
やぢまの過去の学友には奈良の友達(小学生の頃),東京の国分寺の友達(小学生~中学生),杉並の友達(中学生),そして私立高校/大学の友達がいる訳ですが今では大学の同期とごくたまに会ったりする程度で,残念ながら高校時代以前の友人とは最短でも10年以上は会っていないと思います。それでもそれぞれの時代で仲の良かった友達の事は今でもよく覚えていますし,特に高校時代の部活の同期とは特別な連帯感があったように思います。
やぢまが通っていた高校は私立の男子校で,部活は上下関係が厳しいにも関わらず音楽と無関係ではない部でした。やぢまが3年になった時には同期は内気なS君と気の強いK君と私の3人しかおらず,はるかに人数の多い下級生との融和と秩序を保っていくのに苦労した覚えがあります。同期の二人は表面的な性格は違えど曲がった事はしないという点では似ていて,短気で屈折した性格の部の責任者(=やぢま)をよくサポートしてくれました。高校は私大の付属校だったので3人とも同じ大学に入り,やぢまだけは授業にも出ず音楽漬けの毎日を送っていましたが学内では二人とよくすれ違うので「よお」「おぉ」などと声を掛け合ったりしていました。結局やぢまはその大学を辞めてしまい当然ながら卒業式にも出なかったので,最後に彼らを見かけたのも「学内のどこか」だったとしか記憶していず,以後現在に至るまで彼らと会った事もありませんでした。が,それでも私にとって高校時代の思い出は特別で,今でも夢に何度も出てくるのは決まって高校の部活の友達だったりするのですが,それにもかかわらず彼らと疎遠になってしまった事にそれ程痛痒を覚えなかったのは,私自身の中に「いずれどこかで会えるよ,そうそう皆いなくなったりする訳じゃないだろうし」という根拠のない思い込みがあったからに他ならないと思います。
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先日「Webでたまたま箭島さんを見つけた」という高校の後輩からのメールで,S君が6年前に亡くなっていた事を初めて知りました。この事実をどう受け止めていいのか今は判りませんが,少なくとも私の中では旧友は今まで生き続けてくれたんだ,と思うより他はありません。
ただ今後しばらくは,彼には夢に降臨しないで欲しい。泣くから。