ゆかいなFinaleくん

 楽譜出版に欠かす事のできない「Finale」という楽譜浄書ソフトがあります。ジャズから現代音楽まで殆どどんなスタイルの譜面にも対応できてしまう極めて高機能なソフトなのですが,最近いろいろな仕事で渡される譜面が意味もなくFinaleで作成されているものが多い事に辟易しているのです。

 

 Finaleを手に入れたミュージシャンがプリントアウトした譜面は,その人の手書きの譜面より遥かに見づらいことが殆どなんです。Finaleは非常に多機能である反面,それらを使いこなす事や機能自体を呼び出す手順を覚える事の煩雑さと言ったら他のソフトとは比較にならないほどです。音符や記号を入力する手順くらいは大体誰でも覚えられるのですが,音符の微妙な配置や図形の作成のところでたいていの人は躓(つまず)きますし,出版物と同じクォリティの楽譜を独学で作るとなると相当な年月と労力と気合いと根性が必要なはずです。結果,ミュージシャンがFinaleを手に入れて一朝一夕で作った譜面は,臨時記号と隣の音符が重なっていたり段間が異常に狭かったりしてとても読めたものでは無くなってしまうのです。

 これはそのミュージシャンに譜面を書く能力がないからではなく,Finaleがあまりに難解なために本来の「見やすい譜面を作る」というレベルまでなかなか達しないからだと思います。例えば手書きで譜面を書く際には読みやすく書くために「細かい音符には広くスペースを取る」とか「コードはリズムにそった場所に置く」といった感覚的なことを自然に励行するものですが,これがFinaleの場合,例えば「このコードをもう1mm右にずらしたいんだけど」とか「ここは全休符も何もない空白の小節にしたいナ」と思ってもまずその方法を調べるところから始めなきゃなんない。しかもあまりに機能が多すぎてマニュアルを繰ってもそれらの方法を見つける事すらできない。たいていの場合ここで「まあいいか」と妥協してしまい,数々の妥協が集積した結果出来上がった譜面は「音符や記号などのキャラクタが出版物と一緒」というだけの,「『見やすい楽譜』からは程遠い何か」にならざるを得ない。…ということなんではないかと思います。

 ミュージシャンは譜面を読むのも仕事ですし,おそらく読み書きをしていくうちに読みやすい譜面を書く能力がある程度自然に備わっていくものなのでしょう。現に今まで仕事で渡された手書きの譜面で「読み進む事すらできない」ほどひどいものは見た事がありません。しかし「そんな事当然でしょ」と言うなかれ,これが浄書ソフトで作成されたものだと本当に読めないほどの「傑作」も少なくないんです。同業者の中には同じ苦労をされたことのある方もきっと多い事と思いますが,なかなか言えませんよね「読みづらくなるくらいなら手で書けっつーの」なんて(笑)

 まぁ誤解される事もないと思いますが「Finaleを使う事自体が悪い」と言っているわけではもちろんありません。現に楽譜出版の世界ではFinaleは第一線で活躍しているわけですから。しかし出版されている美しい楽譜の数々はそれらに携わっている方達の不断の努力と創意工夫があって初めて完成されているのであって,その凄絶な苦労と「もっと読みやすく,さらに読みやすく」という執念を知ってしまうとミュージシャンも楽譜の「浄書」に関しては所詮アマチュアに過ぎないのだと思い知らされます。

 やぢまも楽譜浄書の仕事だけでなく,自作曲を浄書する時にも積極的にFinaleを使います。しかし浄書する必要のない「最低限読める譜面」を火急に作らなければならない時にはやっぱり手書きの方が遥かに効率がいいんです。音符の書き込みの速さ自体は私の場合Finaleも手書きもそう変わりありませんが,Finaleですと譜面全体を読みやすくする作業に後で時間を取られてしまいますから。手書きならその辺同時進行ですしね。で,演奏の仕事で初見などを強いられる際に必要になるのは浄書であれ草書であれ,とにかく「読み進めやすい譜面」だと思うんですよ。

 

 

 要はこの話,「Finaleか手書きか」という話ですらなく,「自分で書いた譜面自分で読み直してますか」という事なのですが。