世界的なベーシスト,エイブラハム・ラボリエル氏に6年前にインタビューさせて頂いた時,氏の口から一番多く聴けた単語(もちろん「the」とか「a」以外で)はおそらく「Communication」だったと記憶している。ジャズなどに於ける即興の応酬はもちろん,どんなリズムフィールを選ぶのか,どのくらい音数を入れるのか,果てはサウンド作りやPAとのやりとりまで,どんな音楽を演奏するどんな要素も結局はCommunicationに収斂するんだ,というような事を氏は熱く語ってくれたのだ。
自分でもベースを教えている身としてこれを生徒に伝えなくてはなぁ…と今でも思っているのだが,バンド形態でレッスンできるのならともかく,ベーシスト(講師)とベーシスト(生徒or生徒達)とシーケンサーしかアイテムが無い環境ではそれを伝えるのは実際のところなかなか難しい。たとえば個人レッスンの生徒が自分のバンドの音源を持ってきたり,私がピアノを弾いて生徒のベースとセッションできるような事があるとコミュニケーションのヒントも少しは提示できるのだけど,ベーシストばかりのグループレッスンでは楽器を弾くスキル自体を磨く事しか出来ないし,実際殆どの生徒には音楽的なコミュニケーションを築けるほどの演奏技術や音楽的知識/余裕がまだ無いので,今のところはテキストの弾けないものを弾けるようになってもらう事だけで私のレッスンはほぼ成り立っている。
そして生徒のみならずプロアマ含めた色々な音楽人を見ていて思うのは,結局のところ音楽のコミュニケーションが出来る人は人間としても良いコミュニケーションが取れるという事に他ならないのだろう,と。それは人見知りをするだとか誰とでも打ち解けられるだとかいう事ではなく,例えば相手の興味を考えた物言いや話の選び方が出来るという事。自分の洞察の深度が相手とかけ離れていたりしていないか,要点が無さ過ぎて相手が「それで?」としか言いようの無い話になっていないか,内容の無い相槌なんぞを打っていないか。斯く言う私もそんなことが巧く出来ているとは思えないし,仕事以外の日常にそこまで気を遣うなんて疲れる人生にも思えるのだけど,深い演奏が出来る人はやっぱり思索も深いし,演奏が面白い人間は大抵人間も面白いし,そして思い遣りのあるプレイヤーは共演者を引き立たせる事すら出来るのだ。そう考えると少々大変でもさ,日常でも音楽でも周囲に必要とされる存在である方がいいよねー。気を「遣う」のも,思い「遣る」のも同じ字なんだし。
…なんて話を生徒にしたって伝わんねーよなー。「あんたが言うなよ」って言われて終わりか(笑)