「Meditation」カテゴリーアーカイブ

ブログです。2001年9月から書き続けています。

「バンド」と標榜するだけではなく

 …え,何……もう…松…取れんの……

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 12月,すげー暇な予定だったので色々溜まっていたことを「あれもできるこれもできる」と思っていたのだが,気がついたらeBASS塾関連以外はほぼ何もできないまま年末になり年始になり正月が終わってました。まぁその教材制作も結構な手間暇がかかるっていうのと,先月またもや広島の実家で体調崩した(今度は救急車沙汰とかではなかったけど)ってのがちょっと痛かった,と。

 そんな中でも先月5件くらいはライブがあって,お久しぶりな人達とのライブが偶然多く色々楽しかったのだけれど,やはりメンバーが揃ったのが奇跡とも言えた17日のAkaneko Latin Project (ALP) は本当に特別なライブでした。何がどう奇跡なのかはご存知の方も多いと思うのでここで詳らかにはしませんが,彼らが演奏したくてもできなかった時の煩悶やこの日やっと4人で集まって演奏できた事への歓喜の重みを,彼らには悪いけれども演奏中私は一旦全て忘れ,ただバンマスの書いた曲や彼らの話す音楽を聴いたままに受け入れ,触発されて口をついた音楽を話すことだけに集中しました。
 思えばこのメンバーで初めて演奏したのはこのライブよりちょうど1年前となる2018年12月だったんです。この時は野口女史のマンスリーセッションでたまたま集まったメンバーだったのですが,ひとライブ終えてみて「これはヤバイ,バンドにしないともったいない」と思い立ち,リーダーにボソッと控えめにその旨を進言してみたところ,他メンバーも賛同してくれて翌2019年4月のライブがバンドとしての最初のライブになった,と。原則としてトラ(代打)を立てない,パーマネントなバンドを運営するのってブッキングの面などでホント大変なんですが,リーダーの志が高ければ回を重ねるごとにサウンドやグルーヴが成長し,そのバンドにしか出せない演奏に昇華できるという大きな見返りがあると思うんです。
 文字通り,笑いあり涙ありだったこの日のライブを見てくださった方は誰もが感動したことと思いますが,私はメンバーのうちの2人が戦っている逆境もさることながら,一つの新たなバンドを率いて行こうと決意してくれた野口女史の覚悟とリーダーシップがなければあの感動にはならなかっただろうと思っています。そして,たった1年で聴き手を感動させるバンドサウンドに昇華させてきた若い3人のミュージシャンの志の高さには,ただただ驚嘆するしかありません。

 …ま,「若い」って言ってもかせっちとはそんな歳変わんねんだけど。

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 さて,今月は私もリーダーバンドのライブがあります。日程は1/30(木),会場はこのバンドでは初めて出演する六本木キーストンクラブ東京です。

 私にとって昨年における一番大きかった出来事はやはりBOOT FUNK!のライブアルバムをリリースできたことです。タイトル曲「Listen? or Dance?」を収録したのは今からちょうど1年前の2019年1月でしたが,それよりさらに1年遡った時点では,まだ佐久間女史の仮入部(?)が決定したばかりでありアルバムのことなど頭によぎってもいなかったはずです。この辺の話は「Works」のページにも書きましたが,以降こんにちに至るまでにバンドの周辺に起こった様々な良い巡り合わせが作らせてくれたアルバムです。
 先日,とあるジャズ好きの方が去年入手された様々(本当にメチャたくさんあったのでビビった)なアルバムの中で,「インストではこれがトップ」といってSNSで紹介してくださったのが「Listen? or Dance?」でした。「厳密に言えばジャズではないかも知れないが、このノリ、このグルーヴ感」。ジャズ好きの方にそこを判ってもらえるというのは嬉しい限りで,その辺り自分でも快作に仕上がったと自負しております(自分自身の力は作品全体の1/5ですが 笑)。この方は11月のライブにも来てくださったのですが,そのきっかけは佐久間女史の出演したライブでこのアルバムを買って聴いてくださったことだったそうです。ライブを主戦場とするバンドのバンマスとして,1stアルバムがライブアルバムとなったことは幸せな事だったのだなぁと今になって思います。

 2020年最初のライブ,ALPに負けないような感動を巻き起こせる演奏にしたいと思っています(涙要素はあんまないと思いますが 笑)。メンバーの力量と志の高さに不足があろうはずはないので,あとはバンマスの覚悟とリーダーシップ次第って事になりますね。自分で自分の首を絞めたところで,本年もよろしくお願いいたします。


名張と私

 【↑追記:雨の中,たくさんのご来場ありがとうございました!(昼間めっさ晴れてたのに,結局夜は雨降った… 泣)】

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 毎日同じ鉄道で通学/通勤していると,駅や車内のアナウンスを覚えてしまうということがないだろうか。私はサラリーマン経験がないので通学の経験でしか覚えていないのだが,高校生の時毎日新宿駅で聞いていた「池袋・板橋・十条・赤羽・北赤羽・浮間舟渡・戸田公園・戸田・北戸田・武蔵浦和・中浦和・南与野・与野本町・北与野・大宮・日進・指扇(さしおうぎ)・南古谷・終点川越の順に停車いたします」という埼京線のアナウンスを一番よく覚えている。当時埼京線はまだ新しい路線で,沿線に住む方には申し訳ないが変わった駅名も多かったのでそのリズムが印象に残ったのだと思う。今から30年も前の話だ。
 そしてもう一つ覚えているのが,小学校3〜4年生の頃に週1で聞いていた「途中の停車駅は 上本町 鶴橋 八木 名張 津 白子 四日市 桑名の順でございます」という,予め録音された抑揚のないアナウンスだ。これは近鉄難波駅の構内で名古屋行きの特急が入線する際にかかるもので,当時鉄道が大好きだった私は音楽教室からの帰り,難波駅で奈良行きの快速急行を待っている間にこのアナウンスを聞くたび「一度難波から名古屋まで,近鉄特急で行ってみたいなぁ」と思っていたものだ(当然,新大阪から新幹線に乗った方が断然早いので,趣味性以外のメリットは全くない)。その頃持っていた近鉄電車の写真集は赤目口〜名張間で撮られた美麗な写真が多く,奈良線・京都線・橿原線しか乗った事のない自分にとっては近鉄大阪線・名古屋線とその特急停車駅は近くて遠い憧れだったのだ。

 結局10歳の時に父の転勤で東京に引っ越してしまった私は,現在に至るまで難波〜名古屋間を近鉄で旅する夢をまだ実現できていないのだが,かつて難波駅の構内で聞いた特急停車駅のうち,三重県の町3つに自分やバンドメンバーの機材車で訪れるという経験をしている。それが四日市と津と名張(時系列順)で,四日市は都筑章浩 (perc.) さんが,津は伊藤芳輝 (gt.) さんが,そして名張ははたけやま裕 (perc.) 女史が繋いでくれたご縁での訪問だった。四日市と津はライブハウスでの演奏で訪れたのだが,はたけやま女史が初めて名張に連れて行ってくれたのは女史のピアノトリオ「ゆう・ゆう・けんと」ツアーの2日目をいきなり移動日にして「お寿司を食べに行く日」を設定するという,想像を超えたバンマス采配だったのだ。

 や「名張って三重県の名張?(あの特急停車駅の?)」
 は「そうなの。もうね,最っっっっっっっっっ高に美味しいから覚悟しといて」

 斯くして飯テロリスト・はたけやま裕に連れられて訪れた名張の「醍醐」さんでいただいたお昼ご飯の凄さと言ったら…! 私もたまにはゴハン写真をTwitterなどにupする事があるものの,醍醐さんで出していただいたお食事だけは過去1枚も載せていないし,そもそも写真を殆ど撮っていない(今まで3度訪れて,ハモ鍋の写真1枚のみを記念に頂きました)。大将は優しい方なので何も仰らないと思うが,あまりに心遣いのこもったお料理にたいしてスマホのカメラを向ける事にどうも二の足を踏んでしまうのだ。ま,写真は飯テロリストがバシバシupしてくれているので(笑),どのくらい美味しそうかはそちらで確認して頂ければと思う。確かに醍醐さんのお食事は,味や匂いだけではなく見た目にも本当に素晴らしい。

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 そんな風にご縁のできた名張へ,先日「ゆう・ゆう・けんと」で学校公演に出かけてきた。公立小学校で午前中から始まる1公演のみなのだが,前乗り・翌日戻りという贅沢日程であり大変楽しい旅となった。

 いわゆる「学校公演」のお仕事は何度か頂いた事があるのだが,その殆どがホールを貸し切って(あるいは学校の講堂に)中高生を集めて行われるものがほとんどで,体育館で小学生を対象に…というケースに参戦するのは初めてだったかもしれない。おそらく,「児童にジャズを(あるいは,ジャズミュージシャンの演奏を)聴かせよう」と考えてくれる小学校はそうそうないのだろう。しかしはたけやま女史の近年のコンサートの題材には「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にインスパイアされて作った曲を,画家さんが制作したアニメーションを観ながら聴いてもらう」というものがあり,これはまさに小学生にもうってつけの内容だ。これを招聘してくださった百合ヶ丘小学校の鈴木先生に頭が下がるとともに,全国の小学校にもこういうジャズの聴かせ方があるということを知ってもらえたなら,と切に思う。アニメーションの進行は画家さん(蒲原元さん)がPCで直接コントロールしてくださるので,演奏者もアドリブなどの長さを決めておかずに自由に演奏できる。この形ならジャズ的な楽しみの要素も子供達に伝わりやすいと思うのだ。
 それにしてもおとなしく体育座りしていた小学生たちにひとたび女史が「『恋ダンス』踊れる子はこっちにおいでー!」と声をかけた時の,解放されたエネルギーの凄まじさと言ったら…。普段子供と接する機会のない自分には,ただただもう佇むことしかできなかった。平易な言い方しかできないが,学校の先生って本当に凄いお仕事だと思う。

 学校公演は午前から始まったので14時頃には撤収・搬出も全て終わっていたように思う。その後夕食まで時間があるので鈴木先生に案内して頂き赤目四十八滝を4人(ゆう・ゆう・けんと+元さん)で散策し,日帰り温泉でひとっ風呂浴び,「醍醐」さんの正に心づくしのお夕食を頂いてその日は打ち上がった。鈴木先生や「醍醐」の皆さんの心遣いがありがたく,この素晴らしい人脈を得たバンマス・はたけやま裕女史の人徳にただただ感服する他なかった。飯テロリストとか言ってホントごめん。

 思えば,自分が小4で奈良から東京の公立小学校に転校してきた時,一番驚いたのは備品の楽器としてテレビでしか見たことのないPearlのドラム・セットが置いてあった事だった。それを式典で上級生が叩いているのを見て「あ,僕もあれをやってみたい」と思ったのが,クラシックしか知らなかった自分が軽音楽に傾倒するようになったきっかけなのだと思う。しかし,そのお手本を見せてくれるのはディキシーっぽいパターン(だと後年になって判った)を少しだけ叩ける老いた音楽の先生しかおらず,それでもその先生を私は大好きで尊敬していた。もしその頃,自分の学校にプロのバンドが来て演奏やレクチャーをしてくれたとしたら,きっと歓喜のあまり漏らしていたに違いない(笑)。

 今回このような学校公演を企画し招いてくださった名張市立百合ヶ丘小学校の鈴木先生・校長先生・教員の皆さんの深いご理解,そして「醍醐」の皆さん・「モトハシ」の皆さんのお心遣いに心からお礼をお伝えしたいです。ありがとうございました。

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 それにしても,赤目四十八滝。
 私は3歳から10歳まで奈良に住んでいたので,伊勢・鳥羽・賢島など三重県の景勝地に両親とともに観光に訪れたことは何度かあるのだが,より奈良に近い名張にこんなに風光明媚な場所があったとはついぞ知らなかったのだ。多分両親も元々は山口の人間なので,奈良やその近県の地理には案外疎かったのではないかと思う。今度広島の実家に行ったらその辺のことを訊いてみたい。


実は10月と11月がヤバイ

 10月以降,いろいろな現場で「8月と9月,ツアーに出っ放しだったんでしょ? 大変だったね〜」と仕事仲間に労われる。みんなSNSとかで見てくれてたんだなぁと大変ありがたく思うのだが,実際のところは10月に入ってからの方が忙しくて目が回りそうだ。
 長期間のツアーはもちろん体力は使うのだが,毎日の生活は意外と規則正しくなるのでストレスはあまり溜まらない。8時ごろ起床→朝食→支度したり二度寝したり→10時(たまに11時)チェックアウト→車で移動→途中でお昼→15時くらいにチェックイン→寝たり練習したり→16時か17時あたりに現場入り→設営とリハ→夕食→19:30とかに本番→22:00くらいに終演→撤収→打ち上げ→0時くらいにお開き→1時くらいに就寝,みたいな。移動が遠い日は直で現場入りしたりするのでもう少しタイトになったりもするが,逆にもっと時間に余裕がある日もあり,いずれにせよ大抵1時就寝・8時起床から大きくは外れないので忙しいながらも自然と生活リズムは規則正しくなる。これで毎日3時4時とかまで呑んでいれば体も壊すかもしれないが,誰もそこまで無茶をしようとしないのはスパニッシュ・コネクションのメンバーが皆,真に旅慣れしているからであろう。

 翻って10月。勤労日数では9月と全く変わらないが,毎日違う仕事をしているので頭の切り替えも要るし,仕事毎に予習も要るし,毎日入り時間も違うので生活リズムも元どおり(笑)不規則になる,と。たまに私の最も恐れる「10時入り」というキーワードが囁かれることもあり,そういう現場は大抵リハーサルではあるのだがもう正直に言ってしまうとあとで録音を聴き返さないと何を弾いていたかあんま思い出せなくてもうホントすみません…という。

 結局何が言いたいかというと,みんなが労ってくれるツアー期間よりも実は今の方が断然大変かも,ってことなんです。旅はもちろん忙しかったけれど,リズムに則った生活はある意味楽でもありました。

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 さて,今月はリーダーライブはなかったのですが,レギュラーメンバーとして参加している「Akaneko Latin Project」のライブがありました。
 先にお伝えしている通りバンマス兼ピアニストの野口茜女史が残念ながら病欠となったのですが,それが決まった時点で割と日が迫っていたこともあり,中止にするよりはどなたかに代役を頼んででもラテンジャズをお聞かせできるライブを遂行しようということになりました。…が,今考えるとそんなに日が迫った状態でラテンに造詣の深いピアニストを確保しようなどという考えも結構無謀だったような気がします。茜ちゃんに伍するようなラテンピアニスト(で私が連絡できる人)なんて,片手で数えるほどしか知らないのだから。
 しかし「この人はまさか空いていないだろう」と思いつつ万に一つの可能性に託して電話してみた扇谷研人君が幸運なことにピンチヒッターを務めてくれることになり,当日を本当に楽しいラテンジャズ・ライブにすることができました。研人君,ありがとう!

左から私 (bs.) ,扇谷研人 (pn.) ,加瀬田聡 (perc.) ,岡本健太 (drs.)

 次回ALPのライブは12/17@荻窪ルースターが決まっており,その頃に野口女史が首尾よく復帰していてくれればもちろん重畳ですが,まずはバンマスにゆっくり体を休めていただきたいなとも思っております。

 今私の周囲には,女史の他にも病気と闘いながら演奏活動を続けているミュージシャンが何人もいます。中には定期的な入院を強いられたり,手足が思うように動かなかったり,耳が聴こえにくくなったり…という,この仕事をするには辛すぎる逆境を抱えてる人もおり,あまつさえ私と同年輩や断然若い人もいたりして,それでも演奏活動を続けている彼らに対してはもう頭が下がるという他なく,大した故障もないくせに不注意で両手にやけどをしたり(←詳細はTwitterで)無理な搬入出で腰をイわしたり(←今は完治しています)している自分が本当に情けなくなります。
 叶うなら,真摯に音楽に取り組んでいる素晴らしいミュージシャンたちに,人並み以上の艱難が訪れないといいな,と思うのですが。

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 さて,11月は25日にリーダーライブをやります! BOOT FUNKレコ発第2弾@日吉WonderWall-Yokohamaです。ご予約はこちらから!

 これが今年最後のリーダーライブになると思います。皆様のご来場を心よりお待ちしております!

 


お知らせが2つ

 ●本日10/12(土)に予定されていた六本木アルフィーでのGENKI&YOKOバースデーライブですが,台風の影響で中止となったそうです。凄いメンバーだったのでとても楽しみでしたが,今回ばかりは中止もやむを得ないと思いますので是非またリベンジ企画を設けて頂きたいです。

 ●そして,10/18(金)に予定されているAkaneko Latin Projectライブ@日吉Wonder-Wall Yokohamaですが,こちらはリーダーでありピアニストである野口茜女史が体調不良のため出演できない見込みとなりました。女史の欠場は誠に残念ですが,代わりに今回はスペシャルゲストとして,私にとって同期の盟友であり「ゆう・ゆう・けんと」や「ISSEI NORO INSPIRITS」でも長くご一緒している扇谷研人君がピンチヒッターを務めてくれます。

 扇谷君はインストシーンでの活躍のみならず様々な有名アーティストのツアーサポートもこなす真の万能ピアニストですが,かのオルケスタ・デ・ラ・ルスに在籍した経験もあるラテン・ピアノのスペシャリストでもあります。今回はライブタイトルを「Akaneko Latin Project “B”」とし,普段のコンセプトをスポイルすることなく,一夜限りのメンバーでラテンジャズのセッションをお届けしたいと思います! また扇谷君のオリジナル曲や,野口女史の1日も早い全快を願い女史のオリジナル曲なども演奏したいと思っています。

Akaneko Latin Project “B”@日吉Wonder Wall YOKOHAMA
open 18:30 / start 19:40 / 3,500yen
扇谷研人pf / 箭島裕治ba / 岡本健太ds / 加瀬田聡per

  たくさんのご来場,心よりお待ちしております。ご予約はこちらからどうぞ!

 <野口女史よりメッセージ>
 10月18日のラテンバンドAkaneko latin project Live!ですが、リーダーであるピアニスト野口茜が、体調不良により参加できなくなってしまいました。
 楽しみにしてくださった皆様には非常に申し訳ない気持ちですが,代わりにとても素晴らしい情感溢れるピアニストである、扇谷研人さんが演奏を引き受けてくれることになりました。

 バンドの結束力と、新たな化学反応をぜひ聞いていただけたら嬉しいです。そして、また復帰した際にはぜひ足を運んでいただけたら幸いです。

 


被・サポートベーシスト

 以前のエントリーで少しお話しした「スパニッシュ・コネクション」のツアー38公演が,残りわずか3公演となった時点でこれを書いている。

 「旅の余暇にやっといてくれる?」と頼まれて二つ返事で預かっていた譜面の校正が,今頃になってやっと終わった。24日間もツアーに出てりゃ暇な時間なんて結構できるだろ…と思ってたら実際は割と毎日忙しくて,他にもやろうと思っていた来月の予習などがほとんど進んでいないまま月末を迎えようとしている。帰京したらゆっくり休みたいところなのだが,残念ながら10月も死ぬほど予定が詰まっており,まず1日の午前中からリハーサルが入っているという非情さである(笑)。何にせよ,お仕事があるのはありがたい話なのだが。

 

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 さてSNS等でアナウンスされている通りツアー途中でヴァイオリンの平松加奈女史が体調を崩され,和歌山1公演と四国4公演を急遽お休みされたのだが,昨日の京都公演に無事復帰され再び演奏を共にすることができた。これを重畳と呼ばずして何と呼ぶのだろう。

 女史がお休みされた5公演のうち,最初の和歌山だけは本当に急遽だったので曲目そのものをトリオで演奏しやすいものに替えて演奏したのだが,残りの4公演はできるだけプログラムを変えずにヴァイオリンのパートをベースやギターに割り振ることで他の公演とのコンセプトの乖離を避けた。入念に準備した甲斐あって主催者様やお客様から大変ご好評をいただいたが,個人的にはいろいろな曲のヴァイオリンのパートを自分で弾いてみて愕然としたことがあった。とある曲の全く平易な3拍子のメロディーが,一人では弾けるのにアンサンブルで合わせてみると全然譜割り通りに弾けなかったのだ。専門的なことはここで書いても詮無いので割愛するが,結局自分はスパニッシュ・コネクションの扱う3拍子のリズムを,譜面上では理解していても体感では全く理解できていなかったという事を思い知らされたのだ。

 女史が復帰された昨日の京都公演は,恐ろしいほどスムーズにリハーサルを終える事ができた。一つは会場であるRAGの音響を担当する野路さんの素晴らしい手腕,そしてもう一つはフラメンコ音楽を知り尽くしている平松女史が居られる事による音楽的な安心感によるものが大きかったように思う。本番は観た人/関わった人全てにとって感慨深かった事と思うが,自分にとってはトリオでの演奏を経て「自分はまだ振り出しから一歩も外に出ていない」と思い知らされたその視点で,改めてこのバンドのアンサンブルについて考えさせられた事が大きな感慨だった。自分にとってのツアーは,やっと今始まったばかりなのかもしれない。