「Meditation」カテゴリーアーカイブ

ブログです。2001年9月から書き続けています。

8月の出来事

 今年の8月は私にとって本当に本当に濃密な1ヶ月でした。休日はわずかに2日間,あとの29日間はとにかく仕事,仕事,仕事。その中でも特に大きな2つのイベントが東京・大阪の帝国ホテルで行われたインペリアル・ジャズ・コンプレックス,そしてスタジオジャイヴで行われたISSEI NORO INSPIRITSの2ndアルバム録音でした。

 ちょうどお盆付近が日程となる「インペリアル~」への参戦は一昨年,去年に続き3回目。去年までは横山達治 (perc.) さんのラテン・ジャズ・ユニットでの出演でしたが,今年は女流パーカッショニストどれみ♪ちゃん率いるラテン・バンド「どれみ~た♪」の一員として5日間(前夜祭含む)演奏してきました。この「どれみ~た♪」,メインのメンバーもルイス・バジェ (trp.) さんや忍田耕一 (trb.) さん,斉藤崇也 (pn.) さん他凄腕のラテン・ミュージシャンが集結しているのですが,今回の「インペリアル~」ではここに元イラケレのオスカル・ヴァルデス (perc./vo.) 氏,1950年代のモンゴ・サンタマリアのアルバムに参加しておられるフェリックス・プーピー・レガレータ (vln./vo.) 氏がスペシャルゲストとして参入するというとてつもない事になっており,リハ/本番/楽屋で飛び交うスペイン語や英語の渦に疑似海外旅行をしたような気分になってしまいました。
 それにしてもキューバの巨匠たちの,「人間」の熱い事と言ったら。そしてそのリズムの奥行きの深さと言ったら。特にオスカル師匠にはベースの事やトゥンバオの事,そして音楽への姿勢や妥協のしなさ加減(笑)などいろいろな切り口でラテン・ミュージックを教わりました。この熱い人々の情熱がこの音楽を築いてきたのだという事を文字通り目の当たりにし,剰え一緒に演奏させてもらった事は単なる思い出として終わらせるにはあまりにももったいない非日常だったと思います。これを「思い出」ではなく新たな自分のスタートだと言えるように,再び巨匠たちと相見える日まで研鑽を積まなくてはなりません。


(後列左から)ルーウィー (drs.) ,忍田さん (tbn.) ,阿久澤君 (trp.) ,ルイスさん (trp.) ,神村君 (pn.)
(中列左から)どれみ♪ちゃん (perc.) ,貫田さん (sax.) ,能見さん (perc.) ,横山さん (perc.)
(前列左から)オスカル師 (perc./vo.) ,プーピー師 (vln./vo.)
(すみっこの人)やぢま (bs.)

 そしてその「インペリアル~」最終日の翌々日からINSPIRITSの録音がスタート。その壮絶な内容についてはいずれ「Works」のページで詳しくお話ししますが,前作は1日2~3曲ペースで録っていったのに比べ今回は1日3~4曲ペースでの録音となり,しかも前作に増してアグレッシブで難易度の高い曲が多く,個人的には今までの人生で一番楽しく,一番シビアなレコーディングだったように思います。それでも1日設けてあった予備日を使わずに3日間で10曲録り切ることができたのは,「初めまして~」の状態(ホントに)で録り始めた前作に比べるとバンドとしてお互いの呼吸が断然理解し合えているからに他なりません。10月初旬に届いたマスタリング後の音源を聴いて我が事ながら「凄いアルバムだなー」と感心するとともに,「こ,これ,ライブで弾くんだよねホントに」というプレッシャーで早くもオロオロしている今日この頃です。アルバム名は「Moments」,12月2日発売予定です。全てのフュージョンファン必聴,そして特に今回はベース好きの皆さんにも広く聴いていただきたいです。ベースだけに限って言えばアルバム全体で前作の倍くらいの音数が入っているかもしれません(笑)。


ブース内の様子(1)
左より,Veillette6弦フレットレスとRoscoe6弦。
アンプはVeilletteで弾いた1曲のみ使用。


ブース内の様子(2)
左より,Elrick6弦,Yamaha6弦フレットレス,Roscoe6弦。
今回は家にある5本のベースを全て使いました。


ブース内の様子(3)
アンプヘッド及びDIはEBS製。キャビはBergantino。
シールドはカゲツロック。

 その他,下旬にはオバタラ・セグンドのツアーがあったり,ゴスペル関連のリハーサルが死ぬほど入っていたり,マンションの夏祭りで半日フランクフルトを焼き続けなければならなかったりと本当に休む間もない8月でしたが,ともかく体を動かした以上に色々な人に情熱の形を見せつけられ,教わり,感じ,考えさせられた1ヶ月間でした。考えたり感想を書いたりするだけなら誰でもできる訳で,この経験を私は私なりに自分の中で昇華させ,新しい演奏という形でアウトプットしなければ意味がありません。


しかしサボるわけにもいかない夏祭り

6月~7月の出来事

 6月の初めにはTVCFでもオンエアされている「国境なき医師団」支援キャンペーンソング「Beyond the Border」のレコーディングがありました。この曲を制作したble?rの望月さんとは1999年のアルバムに参加させていただいて以来ちょうど10年ぶりとなる2度目のお仕事で,個人的にもいろいろと新たな課題を見つける事のできた極めて意味深い録音でした。当サイトのトップページでもご紹介しているとおり,梶原順さんのアコースティック・ギターが美しいこの曲をダウンロードで購入するとその収益のすべてが「国境なき医師団」に寄付されます。また,なんと12月9日にはメロディとソロが野呂一生さんのエレクトリック・ギターに差し替わった「Beyond the Border Feat. ISSEI NORO」が配信される予定です! 詳細は「Beyond the Border Project」のサイトをご覧下さい。

 6月下旬にはヴァイオリンの中垣真衣子さん,ピアノの上野山英里さん,パーカッションの海沼正利さんと私の4人で岡山と大阪を回る小ツアーがありました。ツアーと言っても移動スケジュールは4人ともバラバラで,私は前日の昼間に単身で岡山に前乗りして来たので初めて見る後楽園を一人で散策。


こんな


非常によい天気。ってか汗だく


所々にある休憩所ではわらび餅や抹茶をゲット可(旨い!)


そういえばワタクシは岡山に来る事自体が初めてでした

 宿に戻って一休みした後,夜になって到着した上野山女史を誘って海の幸を食べに行く事に。と言っても二人ともどこに何があるかさっぱり判らないのでケータイで検索してトップヒットした「創作料理 銅屋」へ直行。これが大ホームランであり肉も野菜も旨いのですがやっぱり魚と甲殻類が最高。午前1時頃までだらだらと飲み食いして解散。


今度岡山に来た時のためにこの店を覚えておかなくては

 翌日は朝早くホール入りして昼間に演奏,その後イタリアンレストランに移動して夜からまた演奏。終演後終電近い新幹線に飛び乗って大阪で1泊,さらに翌日の昼から大阪の「サロン・ドゥ・アヴェンヌ」で演奏して夕方に終了,夜19時の新幹線に飛び乗って帰京…という強行軍。大阪では自由行動できる時間が殆どなかったのが残念でしたが,初めてお邪魔した「サロン~」はとても素晴らしいコンサートスペースで,4人で演奏する音楽にも雰囲気がとても合っていて良い気分でした。

 7月にも小ツアーが1件ありました。こちらは「」とルイス・バジェ (trp.) さんの4人で名古屋に行き,13日にライブハウス,14日には高校の芸術鑑賞会で演奏してくるという1泊2日の旅。13日はいつもお世話になっているラブリーさんでのライブで,演奏も非常に盛り上がり終演後もお店で痛飲したいところだったのですが,主催者様から「翌日は朝8時30分集合」というキツい通達を受けていたため4人とも打ち上げもそこそこに宿に帰投。14日の高校は男子校で(演奏したのはホールですが),吹奏楽部の生徒さんと一緒に演奏するという楽しい企画もあり前夜とはまたひと味違った盛り上がりを見せ無事終了しました。その他7月は志賀聡美さん (trb.) や河波浩平君 (vo.) など,初めて誘われたセッションがどれもこれも非常に楽しいものばかりでひどく充実した演奏活動だったように思います。


 

4月~5月の出来事

 ●「Live Info.」に1件追加。

 副鼻腔炎の発症が発覚し耳鼻科に通い始めた4月頃は毎年恒例のJ&Oツアーがありました。去年と同じく今年も大阪ブルーノートでの公演が千秋楽となり,打ち上げも去年と同じ御堂筋にあるお好み焼き屋さんで行われました。もうとにかく「ニンニク焼きそば」と「ゆず酢焼きそば」が最高でありどうか来年のツアーも大阪が千秋楽になってくれないかと願うばかりです。
 そして返す返すも残念なのはJ&Oの他ISSEI NORO INSPIRITSでもお世話になったビルボードライブ福岡がこのツアーののちに閉店となってしまった事です。いつも開店前に店員さん全員によるミーティングがあり前日にあった問題点や善後策について真摯に話し合っておられた姿が印象的でした。ゴハンもおいしくアテンドも行き届いた(BN/BB系はどこもそうですが)居心地のいいあのお店でもうプレイする事ができないのかと思うと寂しい限りです。


名古屋ブルーノートでゴハンを頂くの図

 5月には私のバースデイライブがありこの前後だけはここ「Meditation」を臨時更新しておりました。思春期の頃のヒーローだった爆風スランプのドラマー,ファンキー末吉さんとの共演は本当に幸せなひとときでした。またYukieさんに久方ぶりに私のセッションに参加していただいた事,INSPIRITSの林君と生ピアノで共演できた事,そしてヴォーカル三科かをりさんの圧倒的なパフォーマンスも私にとってこの上なく嬉しい思い出となりました。
 このセッションのフライヤーを作ってくれたのが13年ぶりに再会した中学の頃の友人だった事はここでもご紹介しましたが,このライブの直後,今度は小学校(奈良ではなく,その後に転校した国分寺の)の時の友達がこのサイトを見てメールを寄越してくれました。「君は政治家か何かになると思ってたのにミュージシャンになってたので腰を抜かすかと思った」との事。何度かのメールのやり取りを経たあと新宿サムデイでのライブを見に来てくれた彼と23年ぶりの再会を果たし,限られた時間の中昔話で思う存分盛り上がりました。
 最も彼に感謝しなければならないのは,私たちが小学校を卒業したと同時に教職を定年で退かれた当時の私たちの担任の大橋先生が現在も御歳83でご健在であらせられるという事を教えてくれた事です。戦時中は帝国陸軍に招集され,小学生だった私たちにもご自身の戦争体験を話して聴かせてくださった大橋先生はユーモアたっぷりの本当に楽しく優しい先生でしたが,悪戯がばれた時のおっかなさといったらもう本当にただ事ではありませんでした。仁王立ちで教壇の前を指差し割れがねのごとき大音声(おんじょう)で「ここへ出てこい!」。これをやられるたびに(何度もやらかす私も私ですが)恐怖で文字通り縮み上がったのも今では懐かしい思い出です。
 実はつい先日,その大橋先生とやはり23年ぶりに電話でお話しする事ができました。嬉しい事に先生は私の事を覚えていてくださったばかりか,「君が学校でドラムを叩いているのを見て,当時の校長先生と『彼は将来ミュージシャンになるね』と話していたんだよ」と笑いながら言ってくださいました。ライブの休憩中だったので10分程度しかお話しできませんでしたが,先生の懐かしいお声に感無量になり,野毛の路地で携帯片手に何度も何度も頭を下げながら電話を切りました。この得難い機会を作ってくれた友人には特別の感謝の念を抱いています。


 

病院バトル2009 - Part7 –

 ●「Live Info.」に3件追加。

 今回で「病院バトル2009」も最終回を迎えます(大げさですが)。そもそも誰とも戦っていないのに何で「バトル」なのかと思われる向きもあるかもしれませんが,実はこの病院エピソードは2004年版と2005年版があり最初の時に何となく「病院バトル」というタイトルにしてしまった名残なのであります。しかし以前の話はいずれもせいぜい2~3回の通院であったのに対し,今回は延べ4カ所の病院に4ヶ月間もお世話になってしまった上,常に「手術かもよ」と脅されつつの通院だったので,なんだかもう人間が小さくなってしまい小動物のようにおどおどと暮らす毎日でした。今自分自身はどこも故障もなく元気に暮らしていますが,通院が終わった後もいろいろな出来事を経験し,今では「こうして健康でいられる事は当たり前ではないんだ」と常々思う日々が続いています。誰の言葉だったか忘れましたが,子供の頃に日めくりカレンダーで知った格言が最近よく脳裏をちらつきます。「病気は世の中に星の数ほどあるが,健康は一つしかない」

 †

 …それでは前回の続き。

 7月末のある朝,保土ヶ谷にある聖隷横浜病院に紹介状を持ってクルマで押し掛けました。保土ヶ谷といっても所在地は駅の近くではなく井土ケ谷との間辺りにある丘の上の住宅街で,この辺は昔バイトしてた頃に毎日車で通っていた場所なので当時の事を懐かしく思い出しながら病院にたどり着きました。

 耳鼻科に予約は取ってあったのですがこの日は肝心のCTが大人気でありしばらく待たされてから機械に潜り込みました。それにしても半年も経たない間にMRIとCTの両方を受けるというのはなかなか無い体験だと思うのですがどうなんでしょうか。ってか3回のレントゲン撮影に続きここでも放射線被曝している訳ですがむしろそっちの方がどうなんでしょうか。まぁ医者がやる事ですから(以下略)

 撮影の後もかなり長い間待たされました。手術をするのかどうか審判が下されるその瞬間を待っている訳なので気が気ではありません。小1時間ほど待った末に名前を呼ばれて診察室に入って行くと先生は横浜市民病院の時と同じような40代と思われる男性の先生でした。

 医「えーっと,ヤジマさんですね」
 や「は,はい」
 医「歯,見せてくれる?」
 や「…歯,ですか?」
 医「そう,歯」

 …確かワタクシは本日CTで鼻を中心に撮影してもらったはずなのですが虫歯でも見つかったのでしょうか。なんだかよく判りませんが見せろと言われるものを見せない訳にもいきませんので大きく口を開けました。先生はCT画像を見ながら「これだな,たぶん」などと言いつつ奥の方の歯の一つを金属の棒でコンコンと叩きました。

 医「これ,どう?」
 や「『どう』と申されますと」
 医「響くような感じがしない?」
 や「うーん,よく判りません」
 医「判らない?」
 や「何て言うんでしょう…比較対象が無いと」
 医「あぁ,なるほど」

 今度は別の歯を「コンコン」。

 医「これと比べてどう?」
 や「…やっぱりよく判らないです」
 医「あそ。もし響いているようなら『歯根のう胞』だと思うんだけど」

 出ました,またもや「嚢胞」。こちとら数ヶ月前に市民病院で「くも膜のう胞」があると言われたばかりです。頭部に2つも「のう胞」を飼っている可能性があるなんて人として合ってるのか…と不安に思いましたがここでも先生の所見はあっさりとしたものでした。

 医「まぁご自身で何ともないのならそのままでも大丈夫でしょう」
 や「そうなんですか」
 医「もし響くとか痛いとか違和感が出るようになったらまた来てください」
 や「判りました」
 医「手術してあげますから
 や「わ,わかりましゅた(最後まで脅されっぱなしですよ俺)」
 医「副鼻腔炎はもう大丈夫だと思います」
 や「もう耳鼻科に行かなくてもいいんですか(ここも耳鼻科だけど)」
 医「大丈夫です」
 や「実は『ムコダイン』という薬が結構余っちゃってるんですが,飲みきった方がいいんでしょうか」
 医「…別に要らないんじゃないかな」

 こうして遂に4月から続いた通院生活からめでたく解放される事になりました。肝心の頭痛の方はどうなったのかというと一時の激減という状態からはやや揺り戻しがありましたが,それでも以前の頻度からはかなり改善されたようです。何よりも最初に受けた頭痛検診のおかげで思わぬ病気を持っていた事が判り,しかもそれを治せたのですからやっぱりMRIをやってよかったなぁとつくづく思います。そして治療だけでなくいろいろと教えてくださった4病院の先生にも心から感謝しております。

 次回の更新ではちょうど通院中だった4月~7月くらいまでの出来事をまとめてみたいと思います。


 

病院バトル2009 - Part6 –

 ●「Live Info.」に6件追加。

 †

 …前回の続き。

 薬を飲み始めて4週間目に例の耳鼻科で初めて頭部レントゲン写真を撮りました。胸部レントゲンなら誰でも撮影した経験があると思うのですが,頭部は果たしてどうやって撮るのかと思いきや,胸部撮影の時に垂直になっている機械(照射装置?)が机のように真上を向いていて,ちょうど学生のときに授業でよく居眠りしたように机に額を当てたままで撮影するのです(顎を当てたバージョンもリクエストされました)。初回の撮影では薬の効果が顕著に現れ「かなり炎症が取れたようだ」とのお言葉を先生から頂き,「やれやれ,この分ならどうやら手術は免れそうだ」と胸を撫で下ろしました。偶然かも知れませんが,実際薬を飲み始めてからこの日まで頭痛はほとんど起きなくなっていたのです。
 ところがその後,4週おきに撮った2回目,3回目の撮影では1回目の状態からそれほど治癒が進んでいるようではない模様でした。ってか数ヶ月の間に3度も頭部にX線を照射するのってアリなんだろうかと若干不安になりましたが,まぁ医者がやる事なんだから多分問題はないのでしょう。薬は一応きちんと飲み続けているのですが,相変わらず食事自体が2回(時には1回とかも)になってしまう日がどうしても混じってしまうのでムコダインの余剰は増えて行く一方です。頭痛は確かに極端に少なくなりましたが皆無ではなく,偶然仕事の日に頭痛が起こった場合はやむを得ず耳鼻科の薬を飲まずに頭痛薬の世話になりました。

 3回目の撮影の後(この時点ですでに7月になっていました),先生が「この辺で一度,大きな病院でCTを撮ってもらって来なさい」と仰せられました。

 や「どこの病院に行けばよいでしょうか」
 医「聖隷横浜病院に紹介状を書いてあげます。CTを見てもらって今後も投薬を続けるか,あるいは手術が必要か意見をもらって来なさい」
 や「しゅ,しゅじゅつはそのひにかえれるしゅじゅつなのでしょうか」(←恐怖のあまり幼児化)
 医「手術の場合は1週間入院です」

 1週間! 手術自体も恐怖ですが1週間の休みを確保するのはフリーランスの私に取っては大事(おおごと)です。その7日間は一銭も稼げない上に手術代を捻出しなくてはならないのですから。それにしてもいくら内視鏡で簡単手術といっても,痔の手術みたいに即日帰宅OKって訳にはいかないのね,と一つ勉強になりました。なーんでワタクシが痔の手術に詳しいのかはいずれまた別の機会に(ちなみに痔の手術も未だ未経験です。念のため)。

 …Part7へ続く。