4月~5月の出来事

 ●「Live Info.」に1件追加。

 副鼻腔炎の発症が発覚し耳鼻科に通い始めた4月頃は毎年恒例のJ&Oツアーがありました。去年と同じく今年も大阪ブルーノートでの公演が千秋楽となり,打ち上げも去年と同じ御堂筋にあるお好み焼き屋さんで行われました。もうとにかく「ニンニク焼きそば」と「ゆず酢焼きそば」が最高でありどうか来年のツアーも大阪が千秋楽になってくれないかと願うばかりです。
 そして返す返すも残念なのはJ&Oの他ISSEI NORO INSPIRITSでもお世話になったビルボードライブ福岡がこのツアーののちに閉店となってしまった事です。いつも開店前に店員さん全員によるミーティングがあり前日にあった問題点や善後策について真摯に話し合っておられた姿が印象的でした。ゴハンもおいしくアテンドも行き届いた(BN/BB系はどこもそうですが)居心地のいいあのお店でもうプレイする事ができないのかと思うと寂しい限りです。


名古屋ブルーノートでゴハンを頂くの図

 5月には私のバースデイライブがありこの前後だけはここ「Meditation」を臨時更新しておりました。思春期の頃のヒーローだった爆風スランプのドラマー,ファンキー末吉さんとの共演は本当に幸せなひとときでした。またYukieさんに久方ぶりに私のセッションに参加していただいた事,INSPIRITSの林君と生ピアノで共演できた事,そしてヴォーカル三科かをりさんの圧倒的なパフォーマンスも私にとってこの上なく嬉しい思い出となりました。
 このセッションのフライヤーを作ってくれたのが13年ぶりに再会した中学の頃の友人だった事はここでもご紹介しましたが,このライブの直後,今度は小学校(奈良ではなく,その後に転校した国分寺の)の時の友達がこのサイトを見てメールを寄越してくれました。「君は政治家か何かになると思ってたのにミュージシャンになってたので腰を抜かすかと思った」との事。何度かのメールのやり取りを経たあと新宿サムデイでのライブを見に来てくれた彼と23年ぶりの再会を果たし,限られた時間の中昔話で思う存分盛り上がりました。
 最も彼に感謝しなければならないのは,私たちが小学校を卒業したと同時に教職を定年で退かれた当時の私たちの担任の大橋先生が現在も御歳83でご健在であらせられるという事を教えてくれた事です。戦時中は帝国陸軍に招集され,小学生だった私たちにもご自身の戦争体験を話して聴かせてくださった大橋先生はユーモアたっぷりの本当に楽しく優しい先生でしたが,悪戯がばれた時のおっかなさといったらもう本当にただ事ではありませんでした。仁王立ちで教壇の前を指差し割れがねのごとき大音声(おんじょう)で「ここへ出てこい!」。これをやられるたびに(何度もやらかす私も私ですが)恐怖で文字通り縮み上がったのも今では懐かしい思い出です。
 実はつい先日,その大橋先生とやはり23年ぶりに電話でお話しする事ができました。嬉しい事に先生は私の事を覚えていてくださったばかりか,「君が学校でドラムを叩いているのを見て,当時の校長先生と『彼は将来ミュージシャンになるね』と話していたんだよ」と笑いながら言ってくださいました。ライブの休憩中だったので10分程度しかお話しできませんでしたが,先生の懐かしいお声に感無量になり,野毛の路地で携帯片手に何度も何度も頭を下げながら電話を切りました。この得難い機会を作ってくれた友人には特別の感謝の念を抱いています。


 

病院バトル2009 - Part7 –

 ●「Live Info.」に3件追加。

 今回で「病院バトル2009」も最終回を迎えます(大げさですが)。そもそも誰とも戦っていないのに何で「バトル」なのかと思われる向きもあるかもしれませんが,実はこの病院エピソードは2004年版と2005年版があり最初の時に何となく「病院バトル」というタイトルにしてしまった名残なのであります。しかし以前の話はいずれもせいぜい2~3回の通院であったのに対し,今回は延べ4カ所の病院に4ヶ月間もお世話になってしまった上,常に「手術かもよ」と脅されつつの通院だったので,なんだかもう人間が小さくなってしまい小動物のようにおどおどと暮らす毎日でした。今自分自身はどこも故障もなく元気に暮らしていますが,通院が終わった後もいろいろな出来事を経験し,今では「こうして健康でいられる事は当たり前ではないんだ」と常々思う日々が続いています。誰の言葉だったか忘れましたが,子供の頃に日めくりカレンダーで知った格言が最近よく脳裏をちらつきます。「病気は世の中に星の数ほどあるが,健康は一つしかない」

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 …それでは前回の続き。

 7月末のある朝,保土ヶ谷にある聖隷横浜病院に紹介状を持ってクルマで押し掛けました。保土ヶ谷といっても所在地は駅の近くではなく井土ケ谷との間辺りにある丘の上の住宅街で,この辺は昔バイトしてた頃に毎日車で通っていた場所なので当時の事を懐かしく思い出しながら病院にたどり着きました。

 耳鼻科に予約は取ってあったのですがこの日は肝心のCTが大人気でありしばらく待たされてから機械に潜り込みました。それにしても半年も経たない間にMRIとCTの両方を受けるというのはなかなか無い体験だと思うのですがどうなんでしょうか。ってか3回のレントゲン撮影に続きここでも放射線被曝している訳ですがむしろそっちの方がどうなんでしょうか。まぁ医者がやる事ですから(以下略)

 撮影の後もかなり長い間待たされました。手術をするのかどうか審判が下されるその瞬間を待っている訳なので気が気ではありません。小1時間ほど待った末に名前を呼ばれて診察室に入って行くと先生は横浜市民病院の時と同じような40代と思われる男性の先生でした。

 医「えーっと,ヤジマさんですね」
 や「は,はい」
 医「歯,見せてくれる?」
 や「…歯,ですか?」
 医「そう,歯」

 …確かワタクシは本日CTで鼻を中心に撮影してもらったはずなのですが虫歯でも見つかったのでしょうか。なんだかよく判りませんが見せろと言われるものを見せない訳にもいきませんので大きく口を開けました。先生はCT画像を見ながら「これだな,たぶん」などと言いつつ奥の方の歯の一つを金属の棒でコンコンと叩きました。

 医「これ,どう?」
 や「『どう』と申されますと」
 医「響くような感じがしない?」
 や「うーん,よく判りません」
 医「判らない?」
 や「何て言うんでしょう…比較対象が無いと」
 医「あぁ,なるほど」

 今度は別の歯を「コンコン」。

 医「これと比べてどう?」
 や「…やっぱりよく判らないです」
 医「あそ。もし響いているようなら『歯根のう胞』だと思うんだけど」

 出ました,またもや「嚢胞」。こちとら数ヶ月前に市民病院で「くも膜のう胞」があると言われたばかりです。頭部に2つも「のう胞」を飼っている可能性があるなんて人として合ってるのか…と不安に思いましたがここでも先生の所見はあっさりとしたものでした。

 医「まぁご自身で何ともないのならそのままでも大丈夫でしょう」
 や「そうなんですか」
 医「もし響くとか痛いとか違和感が出るようになったらまた来てください」
 や「判りました」
 医「手術してあげますから
 や「わ,わかりましゅた(最後まで脅されっぱなしですよ俺)」
 医「副鼻腔炎はもう大丈夫だと思います」
 や「もう耳鼻科に行かなくてもいいんですか(ここも耳鼻科だけど)」
 医「大丈夫です」
 や「実は『ムコダイン』という薬が結構余っちゃってるんですが,飲みきった方がいいんでしょうか」
 医「…別に要らないんじゃないかな」

 こうして遂に4月から続いた通院生活からめでたく解放される事になりました。肝心の頭痛の方はどうなったのかというと一時の激減という状態からはやや揺り戻しがありましたが,それでも以前の頻度からはかなり改善されたようです。何よりも最初に受けた頭痛検診のおかげで思わぬ病気を持っていた事が判り,しかもそれを治せたのですからやっぱりMRIをやってよかったなぁとつくづく思います。そして治療だけでなくいろいろと教えてくださった4病院の先生にも心から感謝しております。

 次回の更新ではちょうど通院中だった4月~7月くらいまでの出来事をまとめてみたいと思います。


 

病院バトル2009 - Part6 –

 ●「Live Info.」に6件追加。

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 …前回の続き。

 薬を飲み始めて4週間目に例の耳鼻科で初めて頭部レントゲン写真を撮りました。胸部レントゲンなら誰でも撮影した経験があると思うのですが,頭部は果たしてどうやって撮るのかと思いきや,胸部撮影の時に垂直になっている機械(照射装置?)が机のように真上を向いていて,ちょうど学生のときに授業でよく居眠りしたように机に額を当てたままで撮影するのです(顎を当てたバージョンもリクエストされました)。初回の撮影では薬の効果が顕著に現れ「かなり炎症が取れたようだ」とのお言葉を先生から頂き,「やれやれ,この分ならどうやら手術は免れそうだ」と胸を撫で下ろしました。偶然かも知れませんが,実際薬を飲み始めてからこの日まで頭痛はほとんど起きなくなっていたのです。
 ところがその後,4週おきに撮った2回目,3回目の撮影では1回目の状態からそれほど治癒が進んでいるようではない模様でした。ってか数ヶ月の間に3度も頭部にX線を照射するのってアリなんだろうかと若干不安になりましたが,まぁ医者がやる事なんだから多分問題はないのでしょう。薬は一応きちんと飲み続けているのですが,相変わらず食事自体が2回(時には1回とかも)になってしまう日がどうしても混じってしまうのでムコダインの余剰は増えて行く一方です。頭痛は確かに極端に少なくなりましたが皆無ではなく,偶然仕事の日に頭痛が起こった場合はやむを得ず耳鼻科の薬を飲まずに頭痛薬の世話になりました。

 3回目の撮影の後(この時点ですでに7月になっていました),先生が「この辺で一度,大きな病院でCTを撮ってもらって来なさい」と仰せられました。

 や「どこの病院に行けばよいでしょうか」
 医「聖隷横浜病院に紹介状を書いてあげます。CTを見てもらって今後も投薬を続けるか,あるいは手術が必要か意見をもらって来なさい」
 や「しゅ,しゅじゅつはそのひにかえれるしゅじゅつなのでしょうか」(←恐怖のあまり幼児化)
 医「手術の場合は1週間入院です」

 1週間! 手術自体も恐怖ですが1週間の休みを確保するのはフリーランスの私に取っては大事(おおごと)です。その7日間は一銭も稼げない上に手術代を捻出しなくてはならないのですから。それにしてもいくら内視鏡で簡単手術といっても,痔の手術みたいに即日帰宅OKって訳にはいかないのね,と一つ勉強になりました。なーんでワタクシが痔の手術に詳しいのかはいずれまた別の機会に(ちなみに痔の手術も未だ未経験です。念のため)。

 …Part7へ続く。


 

病院バトル2009 - Part5 –

 昨日は立川ジェシージェイムスでCieLi(田中詩織さんと上野山英里さんのユニット)のライブでした。田中さんのヴィオラは楽器自体の音も彼女自身の歌い方もとても豊かで,私自身も往きよりも帰りの方が少し元気になって車を運転することができました。ヴィオラならではの音域と帯域特性,ベースの帯域との関わり,その他いろいろイロイロ色々考えさせられたライブでした。参加できてよかったです。

 立川ジェシーには今週末31日にも河波浩平 (vo.) 君のライブで再出演します。田中詩織さんとは来月千葉でコンサートがありますが整理券はすでに完売したとのこと。上野山さんとは来月1日彼女のトリオで六本木のソフトウィンドというお店に出演します。その他今週27日にははたけやま裕 (perc.) さんのセッション,28日には長谷川由里香 (vo.) さんのセッション,29日には上田裕香 (vo.) さんのセッションと楽しみなライブが続きます。同じ「セッション」と言ってもどれもテイストの違うものばかりで今週は私自身にとっても退屈知らずな毎日になりそうです。(→Live Info.)

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 現在ここで「病院バトル2009」を連載中(という程のモノか)ですが,どうもリアルタイムで進行中の出来事だと勘違いされてしまうらしく,友人たちから「鼻が悪いんだって?」と面前やメールで心配されるという現象が起きております。耳鼻科に通い始めたのは4月の出来事でして,現在はすでに通院を終えており副鼻腔炎も一応治っております。3月から10月までここの更新を休んでいたのでその間に起こった出来事を回顧していこうという試みを行っており「病院バトル」もその一環な訳であります。心配してくださった方には申し訳ありませんが10月26日現在ワタクシは何の病気にもかかっておりませんのでどうぞご心配なきようよろしくお願い申し上げるものであります。

 (しかし10月は忙しかったので病気は持っていないものの体は疲れ果てております。月一で通ってるマッサージが唯一の楽しみです)

 …さてさて前回の続き。

 副鼻腔炎という病気を知って以降,最初に驚いたのはこの病気に罹患したことのある人が仕事仲間の中に結構いることでした。MRIを撮った後の最初の仕事で副鼻腔炎の話を仲間にするとキーボードのSさんもドラムのHさんも「罹ったことがある」とのこと。Sさんは私と同様長期間の投薬で治したタイプ。「多分耳鼻科でもらう薬ってね,『クラリス』と『ムコダイン』っていう薬だよ」という予言もドンピシャ。Hさんはなんと手術経験者。しかも内視鏡ではなくメスによる昔ながらの手術。この旧タイプの手術というのがな,なんと,上唇の裏側と歯茎の間から切開していくという全身麻酔でも勘弁していただきたいシロモノ。採血の注射針が怖い私にそんな手術が受けられる訳がありません(受けずにすみましたケド)。その他ピアノのUさんも一時期罹患したとかで「膿が痰になって出てくるのが辛かった」とのこと。どうやら一口に副鼻腔炎といっても,みな症状も治し方も一律ではないようです。

 ともかく「クラリス」を1日1回,「ムコダイン」を1日3回食後に飲むという生活が始まりました。「食後の服用」をサボったことはないのですが,不規則なミュージシャンの生活では食事自体が1日2回になってしまう日がしょっちゅうあるのが難点で,「クラリス」は正しく減っていくのですが「ムコダイン」の方は日が経つにつれ余剰が目立つようになってきました。もちろん医者には内緒です(笑)
 薬は1週間ごとにもらいに行き,2週に1度は診察も受けることになりました。鼻の奥を診るために金属の棒を突っ込まれるのは少し痛いのですが,その度に先生が「(フッと笑って)やっぱり大人は我慢できるのね」とか「子供なら大泣きね」とか言うのがこの仕事の大変さを物語っているような気がしました。実際患者はほとんどが保護者付きの子供であり,子供が入っているときの診察室からはほぼ例外なく絶叫と言っていいほどの泣き声が聞こえてきます。実際には私と同じような事しかされていないケースがほとんどだと思うのですが,子供にとってはやっぱり怖いでしょうし(つかオレだってホントは泣きたい),そんな泣き暴れる子供を1日に何十人と診なければならない耳鼻科医師の業務は激務と呼ぶにふさわしいと言えます。ちなみに私が診てもらっていたのはたいてい午前11時台でしたが,整理番号は40~50番台である事がほとんどでした。きっとこの先生は一日に100人前後の患者を診ているのでしょう。頭が下がります。でも痛いのはイヤ。

 …Part6へ続く。


 

病院バトル2009 - Part4 –

 「箭島・村上プロジェクト」,ご来場誠にありがとうございました!

 いやーしかし頑張った。同じ月に2回もリーダーセッションをやるのは初めての経験でしていろいろと大変でしたが,両日とも大変楽しい内容となり今はとても充実した気分です。原田さん末永さん,素晴らしい曲と演奏をありがとうございました。村上さん,これからもコンスタンスに双頭セッション企画していろいろな人を呼びましょう。そして先週のブートキャンプと並んで平日にも関わらず足を運んでくださった皆様,本当にありがとうございました。これから家で一人ひっそりと打ち上がります。
 …それにしても先週より今週の方がよっぽど「ブートキャンプ」だったッスね。曲難しかったー(笑)

 †

 …前回の「病院バトル」の続き。

 最寄り駅からほど近い場所にあるI耳鼻科はなかなかの繁盛っぷりで,扉を開けると狭い待ち合いのベンチに山盛りのお子様たちとそのお母様たちと何人かの老人がぎっしり。やぢまが受付したのは昼過ぎ(14時頃だったか)だったんだけど,初診ということもあってかたっぷり1時間以上待たされました。ベンチの一角でレム睡眠に入りかけた頃「やぢまさんどうぞー」と看護婦さんの声が。
 ここの先生は50歳台かと思われる,いやに眼ヂカラのある女医さん。例によってMRI画像を見てもらうの図。

 医「この写真でも副鼻腔炎があることは判るのだけどね,頭部全体を対象にしてるでしょう」
 や「はい」
 医「炎症がどのくらい広がってるかはね,鼻の部分だけ集中的にスライスしないと詳しく判らないの」
 や「なるほど」
 医「うちはレントゲンしかないからいずれどこかでCTかMRIで鼻だけを撮ってもらいたいんだけど,まずは鼻の中を見せてちょうだい。ちょっと不快かもしれないけど」

 何せ当方は採血をされただけで気持ち悪くなってベッドに寝かされたことのある腰抜けです。「少し不快なことをする」と宣告されただけで早くもめまいがしてきました。果たしてお医者様が取り出してきたのは二股に枝分かれしたゴムチューブの先にレンズが付いているというシロモノ。カタツムリの角みたいでカワユイと思えないこともないですが,これが今から自分の鼻の中に入っていくのかと思うともう全てを投げ出して逃走したい気分です。「ごめんね,少し我慢してて」と言いながら容赦なくチューブを挿入していく先生。痛くはないのですが普段触れられることのない鼻腔のものすごい奥がむずむずしてホントに不快です。しかしその小さなレンズはかなり高性能らしく,先生が見つめるCRTには明るく照らされた鼻腔内の画像が鮮明に映し出されました(気持ち悪いんだこれがまた)。チューブをしまった女医さんは背もたれが直角の椅子でぐったりしている私と膝を突き合わせ,ものすごい近距離で私の副鼻腔炎がそれほどひどいものではないと説明してくれました。

 医「鼻水とか痰は出てくる?」
 や「出てこないです(ぐったり)」
 医「この程度の副鼻腔炎ではね,まず最初に抗生物質と痰切りの薬を飲んでもらうのよ」
 や「はい」
 医「ちょっと大変だけどね,3ヶ月から半年くらい,長期で根気よく飲んでもらうの」
 や「それで治るんですか」
 医「ほとんどの場合治るんだけど,それでも良くならない場合はね」
 や「は,はい」
 医「(顔を近づけて)手術

 し,死ぬ

 医「大丈夫よ,今は内視鏡でできるからそんな大手術にはならないの」
 や「しょ,しょうなんでひゅか(すでに死にかけ)」
 医「(フッと笑って)まぁできれば手術はしたくないわよね」
 や「もちろんでしゅ」
 医「まずは1週間分薬を出しておきます。なくなったらまた取りにいらっしゃい」
 や「わかりましゅた」

 最後に機械で鼻の中に薬を噴射してもらい,受付でお金を払い隣の薬局で薬をもらってようやく釈放。思えば耳鼻科にかかった経験など遠い子供の頃の記憶にしかありません。おそらく30年ぶりくらいと思われる久々の耳鼻科体験は精神的ダメージが大きく,家を出たときよりだいぶ具合が悪くなって帰宅しました。

 …Part5へ続く。