ライブの仕事の際,主催者やお店の了承が得られる時は反省材料にするためにライブの模様をエアで録音することがある(お客さんはもちろん不可ですよ)。はじめの頃はポータブルMDレコーダーにマイクをつないで録っていたのだけれど,ipodに接続できるステレオマイクがある事を知ってからは専らそちらを利用している。
不思議なもので,調子良くノリノリで弾けた演奏ほど後でプレイバックしてみるとダメダメである事が多く,なかなかフレーズが浮かばず迷いながら演奏した時の録音は,後で客観的に聴いてみると間が生きていて全然悪くないと思える事が多いのだ。もちろんすべてがこれに当てはまる訳ではなく演奏の善し悪しは様々な要素が複雑に絡み合うのだが,ともかく自分の仕事を客観視する事がどれほど重要かをこのエア録音は教えてくれるのだ(もちろんバランスのよいライン録音が貰えればそれに越した事はないのだが)。
話は変わるが,大学生くらいの頃音楽の事でちょっと気になっていた問題がある。ベースマガジン誌を読んでいたら海外のさる大御所ベーシストのインタビューが載っていて,インタビュアーの「ミュージシャンの演奏というものは,その人自身の人格を常にそのまま反映するものなのでしょうか?」という問いにそのベーシスト氏は「そういう事も多いし,そうでない事も多い」と答えていた。当時の私の音楽仲間と言えばプロミュージシャンは殆どおらずせいぜい音楽サークルの仲間たち(それでも,音大や専門学校でもないのに「絶対プロになれそう」と思えるほど巧い学生やOBがたくさんいた)くらいだったが,彼らをインタビュアーの質問に照らし合わせると概ね皆性格通りと思えるものの,確かに完全にそうだとは言い切れない例もあるなぁ…という印象だったのだ。今思えばそれはあくまで彼個人の意見であり,他の一流ミュージシャン全てが同じように思っている訳ではないに違いないのだけれど,当時の私は御大の意見なのだからおそらく普遍的にそうなのであろうと思い込み,「凄腕ミュージシャンになれば役者の演技のように人格までコントロールできるんだろうなぁ」という風に勝手な解釈をしていたものである。
それから20年近く経ち,どうにかプロミュージシャンの中で一緒に演奏できているらしい今改めてこの問題に思いを馳せてみると,何だか誰も彼も100%それぞれの人格通りの演奏をしているように思えるのだ。ひょっとすると知り合いのミュージシャン一人一人を携帯の電話帳でも見ながら虱潰しに思い出していけば一人くらいの例外に思い当たるのかもしれないが,それをぱっと思い浮かべる事ができないくらい皆人となり通りの演奏をしているように思う。自分の演奏すら「全く自分そのものだな」と思えてしまう。これでは御大の意見と半分食い違っている事になるが,もちろん御大の経験値と感受性を以て周囲の世界的ミュージシャン達を見渡せば全く違った景色が見え,答えも違ったものになってしまうのは当然であり私如きの稚拙な考察と並べるのはいささか失礼であろうとも思う。それでもいつの日かこの御大に相見える日が来たならばこの事について今はどうお考えなのか詳しく拝聴してみたい。可能ならば,例えば誰が「性格通りに弾かないミュージシャン」なのかこっそり教えてほしいと思う(笑)。
ともかく今の私には周囲も自分も皆「その人そのものの演奏」をしているように見えるのであり,それが良い事なのか否かについては今のところあまり興味がない。ただ一つ言えるのは自分の演奏を前述のエア録音で聴く時「あ,ダメぢゃん」「あっ何だ今の」と凹む事はしょっちゅうなのであり,これを自分の仮説に照らし合わせると「人格が治らないとプレイも良くならない」という絶望的な結論を1つ導いてしまうのだ(笑)。願わくば自分のプレイの欠点が濯がれている頃には,自分が人間的にダメダメな部分も成長していてほしいと思う今日この頃なのである。