全国にファンを持つ稀有なインストバンド,スパニッシュ・コネクション(以下スパコネ)のリーダーでありギタリストである伊藤芳輝さんが亡くなられました。
私は2016年に芳輝さんソロ名義のライブにお誘いいただいたのが初共演で,以降芳輝さんのトリオメンバー/スパコネのサポートメンバーとしてこの5年間全国各地でライブをご一緒させていただきました。
初めてのライブにどのように誘われたのか,またその時の印象,以後どれだけ楽しい想いをさせていただいたか,私から見た芳輝さんという人物やスパコネというバンド像などは,今まで折に触れあちこちでお話ししてきた事ですのでここで改めて思い出話をするには及ばないと思います。
ただ私の中で数年前から,芳輝さんのことで澱(おり)のように心の底にわずかに溜まり続けていた感情があります。澱といってもそれは嫌な汚れのようなものではなく,旨い濁酒のそれのような甘美な澱です。
数年前,別のお仕事のトラブルで私が間接的に芳輝さんにご迷惑をかけてしまったことがあり,朝起きたら芳輝さんから「何かあったのですか?」という趣旨のメールが届いていました。返信で事情を説明しお詫びをしたところ,程なくして芳輝さんから再びお返事をいただき,そこには問題ないという旨と,それに続いていくつかの言葉が書かれていました。それは言わば私信でありここで詳らかにすることはできませんが,甘美な澱とはその時にかけてもらった言葉によって生まれた感情であろうと思います。それは「自分はこの人に一生ついていく」とか「この借りは必ず返さないと」といった肩肘を張ったものではなく,「なんだか判らないけれど,この人をずっと見ていた方が自分のためになるだろう」という漠然とした感情でした。
20年間一緒に苦楽を共にしてきたであろうバンドメンバーの吉見征樹さん・平松加奈さんの喪失感や,私よりずっと長い間スパコネの音楽を愛し続けてきたファンの皆様の悲しみを私の感情と同列に語ることはできず,SNSにこれを直接書くことは憚られましたが,ミュージシャンは何があろうと音楽でお客さんに満ち足りていただくのが仕事であり,自分が明日から前を向いて進むため,まさに自分のためにここにその思い出をひとつ書き残しておこうと思い立った次第です。
私にとっては甘美な澱を熟成させていた自分という樽の底の栓を,突然抜かれてしまったような芳輝さんの訃報でした。たとえ栓を抜かれても澱は全てが流されていくようなことはなく,今は樽の底に残った澱が放つ芳香の甘美さにただうろたえるしかありません。演奏や作曲によって生きた証を残していくのはミュージシャンの本望だと思うのですが,こんなふうに足跡を遺していくことができる人が,いったい何人いるというのでしょう。
長い時間をかけて,澱の成分が樽材の繊維の中に染み込んでいってくれないだろうか。そんな受動的な気持ちでいます。
↑深夜出港のさんふらわあ号に乗船した瞬間に酒盛りを始めるスパコネのメンバー。左から平松加奈 (vln.) さん,伊藤芳輝 (gt.) さん,吉見征樹 (tabla) さん。バンド結成から19年目となる2019年。