労働2h+休憩5h

 前に実姉がウチに遊びに来た時,帰り際に「マンガ貸してあげるから」と言って紙袋に入った「のだめカンタービレ」の単行本1~8巻をドサッと置いて行ってしまった。こっちは自分の生徒の発表会があるせいでこれから70ページ以上も譜面を書かなければならないのにどこにそんなものを読むヒマが。しかも少女漫画。というわけで「おそらく置き場所にでも困ったのだろう」と勝手に解釈してそのまま部屋の隅に放置しておいたのが1ヶ月半も前の話。

 …そして昨日。入っていた用事が急遽キャンセルになり偶然にも1日時間ができたので,それまで遅々として進まなかった譜面書きを一気に終わらせてしまおうと気合いを入れて作業開始。1曲書き上げたところで休憩と称してたまたま部屋の隅にあった漫画の一冊を開いてしまったのが運の尽き。気がつくと8巻まで読み進めてしまっており窓の外は夜。こうして姉による深遠な営業妨害は見事に成功し,やぢま君は今日も譜面書きに明け暮れるのでした。早く続き貸してくれ。


 

喪失

 ここ数日,出家したくなるくらい暑い日が続いていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。え,私ですか? 私はもちろんげ,元…気……です………よ……………(溶)

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 大尊敬する作家,吉村昭氏が7/31に膵臓がんで亡くなったというニュースを新聞で読んで大変なショックを受けました。鷺沢萌女史や中島らも氏が亡くなったと聞いた時もそれはショックでしたが,鷺沢・中島両氏のような天才が夭折するのと吉村氏のような押しも押されもせぬ大家が亡くなるのとでは受けるショックも異質というか,「そこにいつも居てくれるはずの存在」を失ったようで悲しいと言うよりは狼狽に近いような衝撃を受けました。

 吉村氏の長編小説に「冷い夏,暑い夏」という作品があります。実弟が癌に蝕まれ死んでゆくまでの壮絶な闘病生活を描いた私小説で,弟に癌である事を隠し通す兄(作者自身)や家族の葛藤が読み進めるのも辛いような緻密さで描かれているのですが,吉村氏ご自身もこの夏の盛りに癌で亡くなったのだと思うと何だか気が遠くなるような思いがします。

 氏の作品で好きなものは文庫の表紙がすり切れるほど何度も何度も再読しましたが,この機会にまた一つずつ再読したり,まだ読んでいない作品を新たに買い求めたりしようかと思っています。最近自分自身が活字離れしていて日常会話でも適当な語彙が見つからずに呻吟する時もありますし,こんにちのだんだん変になっていく巷の日本語に流されたくないという思いもあります。音楽なんて好きなものを聴いたり弾いたりすればいいと思いますが,言葉にはやっぱり「現代ではこれが正しい」という基準がないと品位や格調というものが失われていく一方だと思うのです。

 …とか言いつつ,このページの日本語も普段は品格や品位とはかけ離れたものですが。


 

発表会ラッシュにつき更新停滞中

 やぢまと言えば忘れ物,忘れ物と言えばやぢまという風にもはや「忘れ物」の代名詞と化している私やぢまゆうぢですが(いや嬉しくないよ),まずいことに最近はその風説の方が先に流布しているらしく,人前で忘れ物をやらかすと「これがあの有名なアレですか」と言われたり,ちょっと荷物をその辺に置いて離れただけで携帯に「やぢまさんカバン忘れてる」と心配メールが来る始末。この前のブルースアレイでの「宴」CD発売ライブでは色々な関係者や知り合いが楽屋を訪れてくれたのですが,「宴」メンバー以外全員帰った後に楽屋の片付けをしていると何とシャチハタ印の忘れ物を発見。「ったくしょうがねえなぁハンコ忘れて帰ってる奴がいるよ」などと言いつつキャップを開けてみると印鑑の姓が「箭島」でした。

「さすがリーダー」
岩瀬「さっすがリーダー」


 く
  死
   の
    う
     と
      思
       い
        ま
         し
          た

 ●「Live Info.」に1件追加。●追記;ごめんなさい,このライブ出ない事になりましたので撤去しました。


 

自衛隊無事のイラク撤収を心よりお慶び申し上げ候

 ●「Live Info.」に1件追加。

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 「諸行無常」という言葉は誰でも知っていると思うのです。やぢまには仏教の知識なんざこれっぽっちもありませんが,「諸行無常」という言葉の意味自体は「現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないこと」なのだそうです。普段の幸せな生活が毎日変わりなく訪れるのは決して当然の事ではなく,周囲の様々な人間その他の生き物の営みが微妙なバランスを保っているからこそ享受する事ができる偶然の幸福なのかもしれません。ただでさえ日本は地震とか多いのだし最近では近所の国がミサイルぶっ放したりしてるし,ある日突然何気ない日常が吹っ飛んでしまったりしても決しておかしくはないと思うのよね。だからさ,別にヘンな宗教とかやる必要はなくても毎日幸せに生きていられる事を漠然と感謝するべきだと思うのですよ日本人は。特に,他人の努力によって享受できる恩恵をもっと敬ったらどうかと思う。「してもらって当然」という価値観ほど醜いものはないと思いますよ,ホントに。

 そんなわけで最近「諸行無常」という言葉が好きというか,まぁ気になっております。限られた条件の中でできるだけ良かれと思って努力した事が相手に当然と思われてしまうばかりか,剰えそれが無くなると文句言われるんぢゃ割りに合わねんだよ。人生が。


 

良い楽器店の見分け方

 ●「Live Info.」に2件追加。

 何が原因であれ,ジダンの頭突きは単純に痛そうだと思う。

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 生徒とかによく訊かれるのが「良い楽器屋さんってどこですか」というやつなんだけれど,実は私もその辺あまり良く知らないんですよ。細かいものを買うのはあちこちの楽器屋さんに行くけど,楽器自体を買うのは大体いつも同じ店なので相対評価ができないんです。でも,でもね,「悪い楽器屋さん」ならいくつか知ってるよ。エヘヘ。

 ヤマハ音楽教室でベースを教えていると,入会して来るのは半数以上が初心者なんです。さらにその半数は「まだ楽器も持ってない」という人。で,レッスンを始めてもらうときには当然楽器を買ってもらうんだけど,その中でたまにとんでもない楽器を持って来る人がいるんですよ。「とんでもない」と言ってもそれはその生徒が悪いわけではなく,楽器のメーカーが悪いわけでもない。ネックの順反りがひどすぎて握力が超強くないとまともな音が鳴らなかったり,逆に物凄い逆反りでフレットと弦が接してしまい,音が全く出なかったり。そんな状態で何も知らない初心者の若者に未調整の楽器を売りつけてしまう楽器屋が悪いんです。

 自分が買った楽器がたとえ満足に音が出ない状態でも,初心者の彼(彼女)らはそれが楽器屋のせいだとは気づかずにニコニコしながらピカピカの自分の楽器をケースから出すわけですよ。で,それを音が出るように調整してあげながら,「ところでさ,この楽器どこで買ったの」って訊いたら「渋谷の***っていうお店です」って。***って言ったらプロユースのハンドメイド楽器も大量に扱うような大層なお店ですよ。オレなんてこの前店員にタメ口利かれたし。まぁそれはともかく何が問題かっていうと,何十万もするような楽器をずらりと並べて「この木材は」「このプリアンプが」などとゴタク並べてる一方で,初心者の中高生が何も知らないのをいい事に「これがオススメ」とか言ってネックの曲がった量産機を試奏もさせずに売りつけて知らん顔してるってことですよ。量産機だからってネックが反ったら反らせっぱなしですか。音が鳴らなくたって売っちまえば終了ですか。せめて売る間際くらい調整したらどうですか。もうこれはネックが云々という話ではなく商売人としての性根が腐っているという事なのだと思うが如何か。

 …だから若きプレイヤー諸君,「良い楽器屋」を見分ける術というのは「入門者向けの廉価製品が高級機と同じようにきちんと調整されているかどうか」を見極める事だと思う。入荷したまま吊るしっぱなしでネックが曲がっていないか,弦も張りっぱなしで古くなっていないか。確かに安い楽器はネックも弱いけれど,そういうのをマメに調整して初心者を大切にする楽器屋こそ立派なお店であると思うのですよ。初心者がそれを判断するのは難しいかもしれないけれど,楽器に詳しい仲間と一緒に行って色々なお店を見比べてみてほしい。きっと,きっとね,ダメな楽器屋さんはすぐに見つかるよ(泣)。